こちらへの訪いに感謝いたします。
いま私たちは3次元にあります。
どこかが3次元なのではなく、人間が認識することすべからく3次元ということです。
どれだけ思考を働かせても感受性を高めてみても、「人間」というフィルターは3次元しか残しません。
だから苦しいのですよね。
「なんか違う…」という感覚の強い人は、
魂がそれを知っているのに捉えられないからなのだと思います。
もどかしいのだと思います。
魂や意識体などと表現されているそれは、次元どうこうの概念など無いところに在ります。
それに対して人間体が四の五のと出来ることはありません。
そしてあなたの存在は人間体であり、
また意識体として無次元のところに存在もする。
分かれています。
人間体としていまあるそれで良いのです。
何も努力しなかった人などいないのです。
成功もあれば失敗もあり、幸せもあれば不幸もあり、現在もがいている最中で現状に満足もできなければ納得もいかない。
辛く苦しく悲しい。
嬉しく楽しく美しい。
言えることはひとつ、一生懸命に生きてきたのです。
世界がこんなにもどうにもならないのは、
ひとりひとりの幸福など顧みもしない総和で成立しているからなのです。
そして、それは常に必ずバランスがとれてしまっているのです。
3次元は、二つに分かれて表出するどちらかに同化して体験をしていく構造になっているのです。
それのどちらかを厭うて、どちらかに偏るよう必死に生きるのが人間というものです。
片方だけを受け入れるというその有り方は、搾取というものなくしては回りません。
どこかに豊かさあれば、必ず同じ容量の貧しさが存在し、なにかの因果でそれを引き受けている誰かがいます。
先進国の豊かさは途上国の貧しさであり、その差を埋めようとすれば人間は地球をより搾取する他に道はありませんでした。
あくまでも3次元のお話です。
3次元は人間というフィルターが存在させています。
良い悪いではなく、大切な「設定」としてです。
3次元という空間を演出したときに、それが時間というものでどのように変形していくか?
「変質」でも「変容」でもなく「変形」です。
そして知性とは、いかようにそれを見出してそれを理解していくものだろうか?
始まりがあれば終わりがあるのですが、
始まりの理由は分からずとも終わりというのは「壊れたとき」だろうと思います。
破壊の壊れるではなく、英語の「break」な感じでしょうか。
始まって終わり、その後になにがあるのか?
また、変容するというのはどういうことなのか?
これから観てゆくことになるのでしょう。
人間体というものは、体験するために在るのですから。
時を待っている皆々様へ、「時」は来ています。
読んでいただきありがとうございました。
御縁は喜びです。