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自由という概念が意味を持つのは、現在地という地点が定まる時にだと思うのです。


勝手な自由という危うさに迷子になってしまうのは、とても怖いことではないでしょうか。



それを解らせるためにか、パートナーが甚だ辛辣な態度を取ってきたのでした。


もちろん彼が意識的に為しているわけではなくて、関係上そうならざるを得なかっただけなのですが…。



出会う前から長く続けている私の取り組みに、これまでは寛大でいてくれたのがここへきてはっきり「大嫌い」と宣言されてしまったのです。


それに続いて激しい否定と断絶を見せられる耐え難い時間がありました。


感情は麻痺し、心は死んだように止まってしまって、なんとかしなければと思う気力も萎えていました。



彼との関係では大概のことは乗り越えやり尽くし、「鏡」「内側」「二極」などのツールにはもはや限界を感じていたのです。


刀折れ矢尽きの心境で何も動かせません。


手足をもがれて水に投げ込まれたような、ただ苦しいだけの時間が流れて…。



ふと閃くものがありました。


それは今までは持ち合わせなかった概念であるにもかかわらず理屈抜きに私の「知」になったのです。



産まれてこのかた私は自分の生きているこの世界を可能な限り知ろうとして、ひとつの世界だと認識してきました。


言うなればひとつの丸のような三次元の世界であり、その中に二元性があるというように考えてきたのです。


そこに限界を観ました。


「そうか、この世界は丸じゃなくて半円だったんだ…」。

私が世界と思っている世界は半分でしかなかったのでした。


二元性に対する根本的な認識の転換が要るかもしれません。



翌日に彼とした会話からは「恨み」というキーワードを捕まえました。


それから「死」への激しい拒否と「生死」の断絶が世界を分ける原因であることなどが感じ取れました。


どうにもならないものを恨むしかできずに来た人間の哀しみが、この世のベースになってしまっていること…。



これから、これらを踏まえて見つけていきたいものがあります。




パートナーへ。あなたがいるから無為な自由の中に意味を感じて知っていくことができるのです。いつもありがとう。



個人的な気づきでとても抽象的な内容ですが、記録させていただきました。




ここまでお読みくださりありがとうございます。

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