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生きていると、人生が丸ごと好転したように感じることや、ものごとが都合よく運んでいってくれるときがあります。


手放しに楽しいですね。


また、どん底に突き落とされたように感じたり、何をやっても上手くいかないときというのもあります。


本当に悲しく辛いです。



良いときはずっと続いてほしいものですし、悪いときは何とか耐えて過ぎてくれるのを祈るしかできません。



ただでさえスピリチュアルを学んできた身には、人生をより良いものにしたいという根底の願いがあります。


どうしても良いことが起きれば努力の賜物、学びが実を結んだのだと感動してこれが続くものだと信じたいですよね。



三次元は二元性だとしつこく言っていますが、未だに私もこの二元を甘く見て都合よく処理してしまっています。



スピリチュアルの学びで上手くいくことがあるのは事実実感した通りで、間違いないく体験できているはずです。


でも何かが好転したり上手くいくことと三次元が二元であることはまた別の話で、その理解はとても大切であると思います。



三次元の二元性とは「全てのものが二つに分かれる」ということで、片側だけの発生はあり得ないことなのでした。


それを踏まえると、「良いとき」があれば必ず「悪いとき」も引き受けざるを得ないことになってしまうのです。



たくさん学んで来ました、大変な人生だったけど…「もうこれで大丈夫だ」と感じた時というのがあったと思います。


ずっと頑張ってきた、やっと救われた報われた、ようやく辿り着いたと思ったその「時」はなぜ続いてくれないのでしょう。



片側だけが続くことのできない三次元だからなのでした。二元性という仕組みがあるからなのでした。



長く苦労してきたご褒美に「良いとき」をたくさん貰えたっていいじゃないか、とも思いますよね。


人間は、「あんなに嫌な思いをした!」ということのほうがよく記憶されてしまうようです。


悪いことが起きると「やっぱりね」と言い、良いことが起きると「奇跡だ!」と言うようなところがありませんか?


思考するより速くジャッジが発動していて、知らず知らずに過去の前例によって出来事を見定める癖があるのです。



良いことが起きようが悪いことが起きようが淡々と、二元性を理解して両極を受け入れることに尽きると思います。


良いときは長く続けと思い、悪いときは早く終われと思う。このアンバランスさが思うようにならない根っこかもしれません。



「良くなってほしい」という願いは、人生で一時も忘れることのない希望でした。


それほどまでにこの世は辛くてままならなかったのです。


そこをスタートにしてスピリチュアルに救いを求めて、思考のこと意識のこと次元のこと時間のことを学んできました。



「良くなってほしい」いつでも大切にあるこの想いは、まだ私たちに必要な希望なのでしょうか?



「良くなってほしい」という根底の願いが三次元ではどんな反応を生み、「今」しかない現実をどう創っているのか。


自戒を込めて書かせていただきました。





最後まで読んでくださりありがとうございます。

ご縁に感謝。