この三次元には、
人が産まれ生き衰えいずれ亡くなるというように全てのことに共通する流れというものがあります。
黎明期の輝きは時間とともに増して
あたかもその栄光が永遠に続くかのように思わせたのだとしても、
いまさら言うまでもなく望月は欠けるのだということは歴史が明らかにしてくれています。
近頃は選挙という二文字がとても意味のあるもののように踊り賑わいを醸しているようです。
時代は何もかもが末期的状況であり、
それゆえに政治に過剰な期待を持つしか実際のところやれることがないかもしれません。
しかし残念なことに政治にやれることは、
かつて出来たこと以上にはもうないのです。
何もかもが末期的と言った通り、
政治というシステムも段階として避けようのない終局に至っているからです。
何党の誰がどうなるということにかまける必要はありません。
この世界が歪で異常なことは、
陰謀論のように隠された情報から見出さなければ分からないことではないのです。
ごく一般的な新聞等で、
“民間人の犠牲を最小限にするように要請”だの
“非人道的兵器の使用を非難”だのの言葉を普通に目にすることだけで十分に証明されているのではないですか?
私たちの待ち望む次の世界は、
政治家や権力者によってもたらしてもらえるものではないのは明白ですが
では何がもたらしてくれるのか知りようのないまま長らく過ごしてきた身には
藁にもすがる思いで数多ある情報から選び信じてみるしかないのが実情でしょう。
鍵は『意識』だと思います。
意識という言葉は日常的に使われますし、
確かに有るものを指していてその理解を他者と共有もしています。
が、
それがなんなのかは説明する術を持ち合わせていません。
でも名付けられているおかげで扱うことができます。
意識とはあらゆるところに有ります。
それ自体の濃さや分布の密度はさまざまです。
波動とは意識の波ですし、
周波数とは意識の差異のようなものです。
さて、
これまで三次元を満たしてきたのは人間の認識というものでした。
意識ですらなかったのですね。
なので人間が問題なく生きられたわけです。
分かりやすくは、
人間は水の中で呼吸できないしする必要もないという感じのことです。
人間が生きてくれることが大前提なのに人間が生きられない設定にする意味がありません。
ただそれだけのことです。
なのですが、
その世界に人間とは異なる意識レベル(優劣ではありません)の存在が生きようと思えば
どれほどの息苦しさに苛まれることになるか
想像の難しいことではないでしょう。
スターシードやライトワーカーのような、
呼び方はともかくそういった魂の宿る人々は
ただ生きるということが上手に出来ないという悲しみが付きまとっていたことと思います。
三次元が有るとしっかりと理解することは、
三次元が辿るべき道筋をしっかりと与えるということになります。
三次元を三次元たらしめていた時間というものが引導を渡してくれるのです。
その輪郭が淡くなったところから、
三次元を内包している空間にずっと満ち満ちていた真の意識が優しく流れ込んできています。
それはどういうことなのかといえば、
地球を包む大気圏の表層がじわじわと真空の宇宙空間に溶け混じっていくかのような…。
人間の世界にどっぷり親和して呼吸している人間にはなかなか苦しいこととなるでしょう。
特に政治家や権力者を自認して憚らなかったような人たちは、
適応が困難であるばかりか
それまで顧みることのなかった人々の特権であった絶望を
その者たち自身の権利として味わうほかなくなってゆくことでしょう。
いずれこの三次元だった空間を、
空気から水になったと思えるほど全く別のものが満たすことになります。
これまで思うさまに泳ぐ水が無く、
口をぱくぱくさせ喘ぎながら生きてきた魂たち。
問われるのは、
あなたはどうしたいか?だけです。
まだ柔く不完全で点在する水たまりにすぎない気配でも、
それはこの先ひとつながりの海になります。