「おっちゃん王国」NTG(大人になりきれないおっちゃん)のブログ -91ページ目

ココロヘン #1

「ねえ・・・」
「なに?」
髪の隙間をしなやかな指で甘く弄ばれながら、森野壮介は薄暗い部屋のなかで気だるかった。
「ソウちゃんさぁ・・・。なんで、急に"リンちゃん゛って呼ぶようになったの?わたしのこと・・・」
白くすべらかなシーツの中に半分だけ顔を隠した女の眼は、いたずらに微笑んでいる。
「この前まで"リンカちゃん"って言ってたのに・・・」
壮介はベッドから起き上がって、ガラステーブルに置いてあったタバコを手にした。ライターの火が、引き締まった細身の肉体を一瞬照らす。軽く一服してから、ベッドに腰かけた。高木輪花の眼は、相変わらずだった。
「だめ?」
ささやくように問いかけて、赤い唇の端にかかっている長い髪を耳の後ろへまわしてやりながら、壮介は輪花の眼をのぞき込んだ。
「ううん・・・なんでかな・・・って思っただけ・・・」
壮介からタバコを取り上げて、輪花は煙を吸い込んだ。シーツから抜け出して、ベッドから滑り降りる。乳白色の均整的な肢体がガラステーブルに向かう。輪花はホテルの名前が書かれた灰皿に、火がついたままのタバコを置いた。




森野壮介と高木輪花が初めて出会ったのは、三ヶ月前の穏やかに晴れ渡ったある日の昼下がりだった。
一人で街を歩いていた壮介の視界に、華やかな景色が不意に入りこんできた。時々利用するオープンカフェのテラス席で、一人の女が静かに本を読んでいる。光沢のある白いドレスシャツに七歩丈の黒いフィットパンツ。気の強さを思わせる端正な顔つき。緩くウェーブがかかった長い髪は束ねられていて、やわらかな陽射しを栗色に受け流している。
(おおっ、いい女・・・。店の宣伝効果としては、完璧じゃん)
進路を変更した壮介は、そのまま店の入り口に吸い込まれた。
女性店員からアイスコーヒーのグラスが置かれた小さなトレーを受け取る。トレーの空きスペースに、フレッシュポーションと灰皿を乗せた。店内は全て禁煙席だった。
開放されたガラス扉の出入口から外に出た。テラス席の丸テーブルは、不規則に並んでいる。壮介は、女の左斜め後の席についた。
コーヒーにフレッシュを入れると、グラスの中で細かい氷に浮かんだ白いかたまりがゆっくりと黒い液体へにじんでいく。壮介はゆっくりとストローを挿し、かきまぜないでそのまま口に運んだ。
女の左手の薬指に銀色のリングが見える。
(ふうん・・・。何歳ぐらいだろ?年上かな?二十六、七ってところだと思うんだけどな・・・。案外、同い年ぐらいだったりするんじゃねえの?)
壮介はタバコに火をつけて、白いスマートフォンをいじりだした。メールをチェックしてみると、三十件以上の未読がある。登録してあるショップの会員向けメールがほとんどだが、友人からのものが八件あった。
一件ずつ流し読みしていると、女が席を立つのに気付いた。女は小さな白いバックを手にして、店内のトイレに向かった。テーブルの上には、飲みかけのアイスティーと読んでいた本、その横に赤いスマートフォンが置かれてある。
(不用心だな・・・)
ショップのセール情報が書かれたメールを見ていると、赤いスマートフォンから着信音が聞こえてきた。
(えっ!?こんなマイナーなヤツの曲を着メロにしているのか?顔に似合わず、男臭い音楽が好みなのかな・・・。確か、オレもコレ持ってたよな・・・。あっ、そうだ!)
アップテンポの音楽が鳴り止み三分ほどすると、女が灰皿とタバコを持って席に戻ってきた。女はタバコを吸いながらスマートフォンを手にしたが、画面を数秒見ただけで、すぐに本を読み出した。
壮介は、男友達から来ていた今晩一緒に遊ぼうという誘いのメールに返信した。
一分も経たない間に、壮介のスマートフォンから着信を知らせる音楽が流れはじめる。
女は自分のスマートフォンを手にして、瞬間的に振り返った。
若い男と目があった。白いスマートフォンをこちらに見せて笑う男の顔が、全くの無害なのが印象的だった。
「すみません」
男は、軽く頭を下げた。
「びっくりしましたよ。まさか、僕以外にこの曲を着メロにしている人が、世の中にいるなんて」
「わたしも、はじめてだわ。てっきり、わたしの電話が鳴ったかと思ったもの・・・」
森野壮介が高木輪花と自分が同い年だということを知ったのは、この日の夜に受け取った何通目かのメールだった。

ココロヘン #1

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