3か月の講習が過終わり、新宿に集まった私とTと兄貴分の3人はもんじゃ焼き屋に集まった。
主な議題はどうやって、ウェイトレスの子を笑わせるのか?等下らない事。その下らない話が一取り終わり、32歳の大男の今後をどうするのかになった。
当時はまだ景気は良かったものの、Tを雇ってくれる会社は無いだろう。と言うのが私と兄貴分の意見であり、Tもその辺は分かっているらしく、
T“あー、俺は~新潟に帰って、あー何か働くよ。世話になった、ありがとう”
咄嗟に、私はTを私の経費で引き受けよう。と思った。
R“今の俺は以前の俺とは違う、毎月2千万の案件を持っているから、アホ(社長)との交渉は俺に任せてくれ、アホ(社長)には何も言わせないよ。兄貴もそれで良いでしょ?”
兄貴“あーN君(社長)はね~、クドイからね~。機嫌次第じゃない?”
R“訳の分らん事を奴が言ったらプロジェクトを飛ばせば良いんだし、大丈夫ですよ”
と言う事で、会は元のバカ話になり終わった。
その週の営業会議、仕切りは私。一通り終わった後
R:“自衛隊に行ったTなんですが、今はこっちに戻っています。この前会って戻りたい。的な事を言っていたけど、断っておきましたよ。”
ア:“えっ、自衛官になるんじゃなかったの?”
R:“何か、予備役の見習いだったみたいですよ。一応、社長に言っておきますが、どうします?要りませんよね?”
ア:“居る。製作費が外に出すともったいないから、給料一緒で良いなら会いたい。”
R:“じゃあ、明日にでも来させますので、4時に明けといて下さい”
典型的なイノシシ社長は私の掌で踊ってくれ、元同僚Tは再び、デザイン部に席を起き、私も遊び相手が出来てほっとした瞬間であった。
画像は私の元同僚T。アメリカ留学時代ずっと、すし屋で寿司職人をしていたにも関わらず、帰国後“かっぱ寿司”の駐車場で誘導をしていた苦労人なのだ!
