第11回目鉄道マニア必見!広島電鉄の紹介  さらに車両を詳しく紹介編~ | 広島電鉄・JR西日本・広島県・廿日市市 中心ブログ(他はサブ扱い)

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広島電鉄800形電車(初代)

車両定員 80(着席34)人(ワンマン改造車)
80(着席38)人(ワンマン未改造車)
全長 11,950 mm
全幅 2,430 mm
全高 3,465 mm
車両質量 15.60t(ワンマン改造車)
15.30t(ワンマン未改造車)
軌間 1435 mm
主電動機 MB-245-L
主電動機出力 38kW×2
駆動装置 吊り掛け
制御装置 KR-8 直接式
台車 ブリル77E形
制動方式 SM-3 直通制動
製造メーカー ナニワ工機
備考 半鋼製
スペックデータ、各車状況は『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』P.157及び『私鉄の車両3 広島電鉄』、『いこま 16 広島電鉄』P.31に基づく





概要


1951年にナニワ工機で10両製造された。

京都市電800形の基本設計をベースとしており、同じ形式となった。外観的には前後扉で、全面の中央上部には小型の行先表示器が、それを挟み込む様に両側に通風機が設けられた。

機構的にも全車共通で、直接制御・吊り掛け式が採用され、電動機はMB-245-L形(38kW×2)が、台車はブリル77E形が採用された。

前後扉でワンマン対応することが困難で、ほとんどの車両はワンマン化改造は行われずに、1972年3月には805-810号の5両が、1976年1月には801・802・804・805号の4両が廃車になった。

しかし、1975年の千田車庫の火災で車両不足になったため、その不足を補うために803号のみは前中扉、以前の後扉部は締切窓になり、ワンマンカーに改造され801に改番された。

正面には黄色菱形の警戒塗装がされ、また塗り分け色のテストにも使われたが、不具合が多くて長期休車になり、1983年9月に廃車された。

廃車後も、長い間荒手車庫で倉庫代わりに使われていたが、2003年10月に解体された。


各車状況

車番 竣工 ワンマン改造 廃車 備考
801 1951年3月 未実施 1976年1月31日 初代
802
803 1976年7月26日 1983年9月15日 ワンマン改造後
801(2代)に改番
804 未実施 1976年1月31日
805
806 1972年3月31日
807
808
809
810



広島瓦斯電軌300形電車
大阪市電気局500形528
(広島瓦斯電軌300形と同形車)
車両定員 62(着席 不明)人
全長 10,640 mm
全幅 2,300 mm
全高 3,385 mm
車体材質 木造
車両質量 12.70t
軌間 1,435 mm
主電動機出力 26kW
搭載数 2基 / 両
駆動装置 吊り掛け式
台車 ブリルJE
製造メーカー 天野工場
備考 両数:5両
スペックデータ・各車状況は『私鉄の車両3 広島電鉄』および『広島の路面電車65年』P.180,181に基づく


概要

1938年に大阪市電気局501形を5両譲り受け、導入した。1912年製の木製ボギー車で、広島電鉄初のボギー車でもある。入線当初は300 - 304と車番が付与され、後に300が305に改番され301 - 305となった。

マキシマム・トラクション台車(親子台車)と呼ばれる、前後側が787mm・中央側が533mmと2軸の車輪経の異なる特殊な台車が使われていた事で脱線が多く発生し、多く運用されなかった。

広島市への原子爆弾投下時には、全車桜土手引込線(「広陵中学前電停」付近、現在の県病院前電停)に停泊していた。被害については、5両の内2両は被害がなかったが、特殊な機構のために復旧されずに全車廃車になった。

原子爆弾による被害

車番 被災場所・状況 状態 復旧 備考
301 桜土手引込線に停泊していた 中破 廃車処分
302 桜土手引込線に停泊していた 中破 廃車処分
303 桜土手引込線に停泊していた 中破 廃車処分
304 桜土手引込線に停泊していた 無被災 廃車処分
305 桜土手引込線に停泊していた 無被災 廃車処分

各車状況

車番 大阪時代
車番
大阪での竣工 広電譲渡 所属車庫 備考
301 1912年4月 1938年 1951年1月27日廃車 原爆被爆から復旧されなかった
303 1912年4月 1938年 1951年1月27日廃車 原爆被爆から復旧されなかった
303 1912年4月 1938年 1951年1月27日廃車 原爆被爆から復旧されなかった
304 1912年4月 1938年 1951年1月27日廃車 原爆被爆から復旧されなかった
305 1912年4月 1938年 1951年1月27日廃車 入線当初は300号だった
原爆被爆から復旧されなかった