概要
1951年にナニワ工機で10両製造された。
京都市電800形の基本設計をベースとしており、同じ形式となった。外観的には前後扉で、全面の中央上部には小型の行先表示器が、それを挟み込む様に両側に通風機が設けられた。
機構的にも全車共通で、直接制御・吊り掛け式が採用され、電動機はMB-245-L形(38kW×2)が、台車はブリル77E形が採用された。
前後扉でワンマン対応することが困難で、ほとんどの車両はワンマン化改造は行われずに、1972年3月には805-810号の5両が、1976年1月には801・802・804・805号の4両が廃車になった。
しかし、1975年の千田車庫の火災で車両不足になったため、その不足を補うために803号のみは前中扉、以前の後扉部は締切窓になり、ワンマンカーに改造され801に改番された。
正面には黄色菱形の警戒塗装がされ、また塗り分け色のテストにも使われたが、不具合が多くて長期休車になり、1983年9月に廃車された。
廃車後も、長い間荒手車庫で倉庫代わりに使われていたが、2003年10月に解体された。
各車状況
車番 | 竣工 | ワンマン改造 | 廃車 | 備考 |
801 | 1951年3月 | 未実施 | 1976年1月31日 | 初代 |
802 | ||||
803 | 1976年7月26日 | 1983年9月15日 | ワンマン改造後 801(2代)に改番 |
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804 | 未実施 | 1976年1月31日 | ||
805 | ||||
806 | 1972年3月31日 | |||
807 | ||||
808 | ||||
809 | ||||
810 |
概要
1938年に大阪市電気局501形を5両譲り受け、導入した。1912年製の木製ボギー車で、広島電鉄初のボギー車でもある。入線当初は300 - 304と車番が付与され、後に300が305に改番され301 - 305となった。
マキシマム・トラクション台車(親子台車)と呼ばれる、前後側が787mm・中央側が533mmと2軸の車輪経の異なる特殊な台車が使われていた事で脱線が多く発生し、多く運用されなかった。
広島市への原子爆弾投下時には、全車桜土手引込線(「広陵中学前電停」付近、現在の県病院前電停)に停泊していた。被害については、5両の内2両は被害がなかったが、特殊な機構のために復旧されずに全車廃車になった。
原子爆弾による被害
車番 | 被災場所・状況 | 状態 | 復旧 | 備考 |
301 | 桜土手引込線に停泊していた | 中破 | 廃車処分 | |
302 | 桜土手引込線に停泊していた | 中破 | 廃車処分 | |
303 | 桜土手引込線に停泊していた | 中破 | 廃車処分 | |
304 | 桜土手引込線に停泊していた | 無被災 | 廃車処分 | |
305 | 桜土手引込線に停泊していた | 無被災 | 廃車処分 |
各車状況
車番 | 大阪時代 車番 |
大阪での竣工 | 広電譲渡 | 所属車庫 | 備考 |
301 | 1912年4月 | 1938年 | 1951年1月27日廃車 | 原爆被爆から復旧されなかった | |
303 | 1912年4月 | 1938年 | 1951年1月27日廃車 | 原爆被爆から復旧されなかった | |
303 | 1912年4月 | 1938年 | 1951年1月27日廃車 | 原爆被爆から復旧されなかった | |
304 | 1912年4月 | 1938年 | 1951年1月27日廃車 | 原爆被爆から復旧されなかった | |
305 | 1912年4月 | 1938年 | 1951年1月27日廃車 | 入線当初は300号だった 原爆被爆から復旧されなかった |