今までの人生の中で、自分探しの旅というものはしたことがなかったが、昔住んでいた大阪へ、昔の自分をトレースする旅をしてきた。そこで生まれ幼稚園まで過ごした娘と、何もわからない(笑)その娘と共に。
大阪時代、三人の年子を抱えた里帰りはたったの一度だけ、それも新幹線を乗り継いで半日以上かかる旅。あの長旅の時間をどう過ごしたのか記憶はないが、孫と戯れながら途中目にする富士山の、雄々しき姿は変わらず。あれから25年。今では仙台駅から新大阪駅まで4時間程。
賑わう新大阪から、御堂筋線に乗り換え何千回も乗降した江坂駅へ。懐かしいのは私だけ。その昔、ベビーカーを押して散歩した道を歩くが、流石に娘の記憶は無いらしい。しかし、通った幼稚園を訪れると、記憶が蘇ってきたと喜んでいた。不思議そうに佇む孫が、25年前の制服を着た娘の姿と重なる。娘が遊んだ遊具で孫が遊ぶ、これ諸行無常なり。もしずっとこの街で暮らしてたなら、どうなっていたのかな…いや、今が一番やね。
梅田へ戻り、夜はやっぱりお好み焼きで〆る。翌日は、グリコとくいだおれ人形にご挨拶して、高さ300mを超える日本で一番高い高層複合ビル、あべのハルカスへ。後で調べると「伊勢物語」の一節「晴るかす」から名づけられたそうな。大阪市内が一望できる60回ラウンジでひとり思う。いつの日か、次は娘が孫を連れてきて語るのかな。「ここはな、おかあちゃんが生まれて幼稚園まで住んどった街や。大きいやろ。」そのころ、孫が大阪へ住んでいたりして…縁は異なもの味なもの、人生はようわからへん。その頃私は、あの世で一杯やってると思うし(笑)。
今の科学では難しいタイムマシン。しかし、心の時間旅行はこんなふうに愉しめる。ほんまに大阪はええとこです。
大阪時代、三人の年子を抱えた里帰りはたったの一度だけ、それも新幹線を乗り継いで半日以上かかる旅。あの長旅の時間をどう過ごしたのか記憶はないが、孫と戯れながら途中目にする富士山の、雄々しき姿は変わらず。あれから25年。今では仙台駅から新大阪駅まで4時間程。
賑わう新大阪から、御堂筋線に乗り換え何千回も乗降した江坂駅へ。懐かしいのは私だけ。その昔、ベビーカーを押して散歩した道を歩くが、流石に娘の記憶は無いらしい。しかし、通った幼稚園を訪れると、記憶が蘇ってきたと喜んでいた。不思議そうに佇む孫が、25年前の制服を着た娘の姿と重なる。娘が遊んだ遊具で孫が遊ぶ、これ諸行無常なり。もしずっとこの街で暮らしてたなら、どうなっていたのかな…いや、今が一番やね。
梅田へ戻り、夜はやっぱりお好み焼きで〆る。翌日は、グリコとくいだおれ人形にご挨拶して、高さ300mを超える日本で一番高い高層複合ビル、あべのハルカスへ。後で調べると「伊勢物語」の一節「晴るかす」から名づけられたそうな。大阪市内が一望できる60回ラウンジでひとり思う。いつの日か、次は娘が孫を連れてきて語るのかな。「ここはな、おかあちゃんが生まれて幼稚園まで住んどった街や。大きいやろ。」そのころ、孫が大阪へ住んでいたりして…縁は異なもの味なもの、人生はようわからへん。その頃私は、あの世で一杯やってると思うし(笑)。
今の科学では難しいタイムマシン。しかし、心の時間旅行はこんなふうに愉しめる。ほんまに大阪はええとこです。