私の父は、高卒で建設省、今の国土交通省の建築課へ入った。母曰く、当時の建築課内の図面書きではNo.1の腕前だったそうな。まだ、CADなどというコンピュータソフトが開発されていない時代のことである。父は、週末に図面を持ち帰り、遅くまで家で仕事をしていた。居間の隅に置かれたドラフター(製図台)は、私達兄弟にとって父の聖域、触れることは決して許されなかった。そこへ父が座ると、家じゅうにピンとした空気が張り詰めたことを、今でも思い出す。父の上司は、彼の才能を伸ばし昇格させようと、夜学に通い大卒の資格を取得することを勧めた。しかし父は、生涯図面を描き続けることが夢であると言って断ったという。その言葉通り、退官した後も民間の建設会社へ移り、71歳まで大好きな図面と向き合い続けた。幸せな人生だった、とおもう。
私や弟に対しても、進学や就職、そして結婚する時、父は、自分のことは自分で決めろ、そして失敗しても自分でケツを拭け(下品でごめんなさい)と一言。思い起こしても、寡黙な父ゆえ、それ以上の叱咤や激励の言葉は記憶にないが、子供が自立するにはそれで十分だったと思う。離婚して実家に戻り、同居をお願いした時も、無言の厳しさがあり、甘えは一切許されなかった。その後、子供達も成長し、私がお店を出す時に、父の何気無い一言。それは、父の遺言ともいうべきものだったと、今になって思う。「生きる上で大事なのは、知恵と根気とそして人脈、まぁいい出会いということかな。真摯にやってれば金は後から付いてくるものだ。」
そして、13年の月日を経て、その言葉通りであると確信する。沢山の出会いがあり、沢山の仲間たちに支えられここまで来れた。まだまだ、この先茨の道が続いていても、そんな仲間たちに勇気を与えてもらうことだろう。生きる上でもう一つ大切なこと、そこに深い感謝の気持ちを忘れないことを加えたい。何故なら、人間は一人では生きていけないからだ。今日も、子供病院へ付き添う。まだ、一人では何もできないモンスター。そして、家のことが出来なくなった母に添い、切に思うのである。