墓参りの帰り、今年の夏の思い出にと、母とふたり遠刈田温泉へ。連日の暑さで死にかけてた母を励まし、すっかり出不精になった母をおだて、お宿は「ゆと森倶楽部」
深緑に囲まれた露天風呂に浸かり、シャンプーをして、背中を流してあげると、ご機嫌になった母。モンスターみたい。誰もがそうであるように、いつしか母との親子関係は逆転していく。この私も時に娘たちに窘められる。夕食のブッフェでは子供のように椅子に座って待っている母を見て、可愛いと思った。これも、非日常な時間だからである。毎日、彼女の我が儘な投球を全て受け止めた、高校時代は名キャッチャーだった父のようにはなれないが…さて、今夜だけは私も楽しんじゃおうと、ワイン飲み放題を注文。お腹もいっぱいになり、ほろ酔いでラウンジへ向かうと、なんとオールディーズのライブ中。音楽好きの母と一緒にノリノリ、アンコールコールで声が枯れた。しかし、こうした楽しい時間は、それを長年分かち合ってきた相方との歴史を遡り寂寥感を増す。夜、母の寝息をBGMに、この旅館のタイムカプセルサービス(10年後に配達してくれるという)絵葉書に、母の名前でこっそり認めてみた。「天国のおじいちゃん、十年経っても私はまだ生きてます。いつになったら、おじいちゃんのとこへ行けるんでしょうか?早くお迎えにきて下さい。」投函してから、未来予想図が的中しそうで恐ろしくなったが(笑)みな、十年後も元気ならいい。
翌日は、天国で母を待ってる?父の三回目の命日。浴衣を纏い、娘親子と共に広瀬川の灯籠流しへ。墓参りも灯籠流しも、誰のためでもない、残された人間の切なく辛い思いを和らげてくれる鎮魂の儀式。そして、今年はご縁あって、F先生のご家族と大曲の花火大会へ行けることにもなった。母の精神カウンセリングの時には、優しい医師の顔。私のお店では、いつも美味しい差し入れをしてくれる頼れるお兄様的存在の先生であるが、この日はパパの顔。先週末、久々の秋田新幹線に乗って大曲までの日帰り旅行は、聡明な娘さんのお陰で、とてもいい時間を過ごすことができた。一生に一度は大曲の花火をみたらいい。たくさんの友人からそう言われてこの歳になり、やっと、念願叶った。もう少し若いうちに見ときゃよかったかな。花火の美しさよりも、そこに人の世の儚さを重ねて無口になる。年明けから、いろいろあったからね…。言葉にできないほど。