今月に入ってから、講習が増え多忙を極めていた。恒例のオクトーバーフェストも断念。それでも、何とか時間をやりくりし梅酒を作り、ドライミントを作る。トマトの苗を植える。この時期を逃すと来年まで待たなきゃならない事柄が沢山ある。待つのはいいけど、自分が生存してるとも限らない(笑)それこそ、今じゃないと。私たちを乗せた地球も、それを取り巻く銀河系の星たちも、みな生きているのだ。こうしてる今も、何処かで新しい生命が誕生し、何処かで消えゆく。時に待ったが効かない。先週末、元気なうちじゃないと贈り物も意味がないからねと、娘がおばあちゃんへお財布を贈った。おばあちゃんの財布がかなりくたびれていたからと言って…毎日、母の傍にいるというのに、私は気が付かなかった。茂木さんのアハ体験のように、少しづつの変化は気付きにくい。そして、なんと翌朝、母が倒れて救急車で運ばれた。三年前の父の時も然り、救急隊の方々の親切で迅速な対応に感謝である。幸い大事には至らなかったが、娘の言葉通り何事も元気なうち…を実感。病院の待合室では、今日の「父の日」の特番を放映していた。早朝から出動してくれた救急隊の方々は、子供達にとって誇れるお父さんに違いない。昔、いつかの父の日に、奮発して買ってあげた腕時計があった。父はそれを最期まで大切に使ってくれた。そして、父が亡くなった今も、私の左腕で時を刻んでいる、その腕時計を眺めて、父を想った。親子だけじゃなく、大切なひととの思い出が、慌ただしく流れる日常の時の狭間に、こころを癒してくれたりする。母の入院で、昼に予定してた宇宙飛行士、山崎直子さんの講演会は行けず。出席した友人のメールには、「宇宙船の中は狭いので整理整頓が大事」というお話から、「地球も実は限られた空間であり、それを大事に維持していくことが必要」というお話へ。整理整頓が苦手な自分には説得力のあるものだった、貴女みたいに断捨離しなきゃとあった。断捨離は、ただ捨てることじゃない。自分にとって大切なものと向き合うということ。モノだけじゃなくヒトとの関わりも含めて。そこで私も、鬼の居ぬ間に母の部屋を掃除する。母だけなのか、母の年代の勿体無い思想のせいなのか、絶対にこの先必要のないモノが散在してて、吹き出しそうになりながら、母の人生と向き合う。夕方、元気になったから、病院食も美味しいし二三日ゆっくりするから(旅館じゃないんだけど)という母を再び見舞ってから、マリンバの詢子さんの待つさらしな庵へ急ぐ。彼女の音楽仲間、陸上自衛隊東北方面音楽隊の方々を紹介頂く。フルートのテッチャン、指揮者の隊長。みんな瞳が輝いている。勿論、大好きな詢子さんも。そこへ吉田さんも合流して、それは愉しい飲み会と化す。朝から大変な一日だったけど、終わり良ければすべて良し、かな。そして旨い酒は、元気じゃないと味わえない。

追伸。最近観た、いい映画(DVD)
扉をたたく人、私の中のあなた。どちらも心が温かくなる映画である。是非ご覧あれ。