7日より営業しました。今年もどうぞよろしくお願い致します。元旦から一週間、何も決め事をせずに、気を抜くことの大切さを味わったような気がします。あと何回母とお正月を迎える事ができるか…二人だけの年越しを静かに平和に終えたのですが、三が日年始の挨拶に訪れる人たちの(孫の面倒も含め)対応であっという間に時間が過ぎてしまいました。かつて里帰りする立場だった人間にはわからないこと。夜にはひとり旨い酒でゆっくりするはずだったのですが…モンスターの夜泣きに右往左往してる自分が情けなくもあり、テキパキとモンスターの入浴やらをこなしている娘が頼もしくもあり。とまぁ、我が家もいよいよ世代交代の時を迎えたのかもしれません。
昨年末、二郎先生より奈良にいます…との生存メールを受信。奈良は大阪時代によく訪れたところである。特に興福寺の阿修羅像には、魅せられた。モデルは国宝「阿修羅像」。本来サンスクリットでは「asu」が「命」、「ra」が「与える」という意味で善神だったとされるが、「a」が否定の接頭語となり、「sura」が「天」を意味することから、非天、非類などと訳され、帝釈天の台頭に伴いヒンドゥー教で悪者としてのイメージが定着し、地位を格下げされたと考えられている。帝釈天とよく戦闘した悪神である。しかし、釈迦が涅槃に入ってからは、帰依して必ず側にいる重要な善神となったことは有名。興福寺の阿修羅像は、奈良時代に光明皇后が亡き母・橘三千代のために造らせた供養仏の一体といわれる。それゆえ、表情の異なる三つの顔と六本の細くしなやかな腕の調和美、哀愁を帯びたまなざしが見る者の心を深くとらえるのかもしれない。懐かしくなって、ネットで阿修羅を眺めてみる…眉間にシワを寄せるあの表情は、新米モンスターにどこか似ていて嬉しくなった。そう、興福寺の阿修羅像は、見る人の今の心を映し出すそうな。
人生もかくの如し。シナリオ通りにはいくはずもなし。紆余曲折な年月を経て、多くの方々に多大なるご迷惑をかけ、また支えられてどうにか生きてきた。でも、それなりに天命を知ったら、いつしか自分もあの阿修羅のような守護神になりたい…なと願う。いつでもどこでも、貴方たちを見守っているから安心なさい、とね。
昨日は、年始のご挨拶も兼ねて、いつものお仲間と仕事終わりの乾杯を…ぷん福で。久しぶりの熱燗紹興酒にピリ辛鍋で至福のひと時。まだまだ、修羅の境涯から解脱できそうにない。