ある晩、ある大先輩から、「3つのティー」 のお話を拝聴する。人間、成功するために必要なものは、パーソナリティー、オリジナリティー、 そしてバイタリティーだと。なるほど。私のお店には、それらを兼ね備えた方々が、気負うことなくドアを開け、自分だけの時間と酒を嗜む。私は、そんな秀美な方々から時に深いものを学ぶときもあるし、たわいの無い会話に気持ちがふっと軽くなるときもあるし。長い年月を経て、いつしか出来上がっていた目には見えないがやんわりとした繫がり。冷え切った寒い夜や、じっとりとしたこの季節、その有難さが増すのは、私だけではないだろう。
「僕たちは美しく生きていけるのだろうか」茂木さんの書である。仕事の帰りに書店で立ち読み。この世で一番美しいものはひとのこころの中にある。と同様にこの世で一番醜いものもひとのこころの中にあるのではないか… 美しさとか、幸せというものは、ほんの小さなことの中に潜んでいるものだと思う。決して、青天井の人生や、波乱万丈の成り行きの中に美しさがあるのではない。美しさとは、むしろ、「自らの限定」を受け入れる勇気の中にあるのかもしれない。(抜粋)

人生には当たり前に、一生懸命にやってきたことが裏目に出ることがある(そのようなことの方が多いのだが)。信頼してた人から裏切られることもある。お気に入りの携帯だって突然壊れる(時代に逆らえずスマホにしました)。先週末、そんなことが重なって、久々に落ち込んでた時に、友達から誘ってもらったある音楽教室の発表会。年齢も立場も異なる方々が一年間の成果を発表するその場には、不思議な気が漂う。今まで、沢山のコンサートやライブを鑑賞してきた。プロの音楽はそれは素晴らしいが、只管、音を楽しむ彼らには、どんなプロのミュージシャンも太刀打ちできない美しきものを感じ得ることができた。そして昨日は、朝から娘の出産に立ち会った。25時間という想像を絶するほどの長い陣痛に耐え抜いた彼女は、今朝、細く暗い産道を潜り抜けた母に似て気丈な女の子を無事に産み終えた。そこでわたしは、人間の最も美しき姿に邂逅することができた。この私もその昔、娘を出産したのちに流した涙は、今まで育ててくれた母への感謝の涙だったことを思い出す。ともあれ、私には何も自負できるものなどないが、こうして愛する家族や信頼できる仲間達に支えられて生きていることは幸せである。たった一度きりの大切な人生を大きく踏み外さずにすむ。少なくとも無駄な時や寂しい時間を過ごさずに済む。そして、美しく生きていくことができる。