50歳で東大生になった女性の記事に感動。若い頃、東大受験に失敗したのが心残りで、息子の受験を機に挑戦したのだという。心残り…ということではないが、小学校の頃、半強制的にピアノを習わされてた私は、結局のところ練習曲ばかりでちっとも面白くなくて辞めた。ひょっこりひょうたん島とか、魔法使いサリーちゃんとか、鉄人28号とか(古いね)のテーマ曲だったら続けてたかも。あれから、40年という実に恐ろしく長い年月が流れ、50の手習いではないが、最近部屋の片隅に置いているキーボードに向かってポロポロやっている。この奇妙な行動は何故なのかって?先日の茂木さんや友人のブログでこの本が取り上げられており、これは読まずにいられないと即購入。ピアニストの脳と身体の働きを様々な実験と調査を駆使して探求した本で、実に面白かった。今さらピアニストを目指すつもりはないが、読み終えて、カワイの楽譜売り場に直行。なぜかピアノが弾きたくなったのである。「ハ長調で弾くバラードな曲」という楽譜に目が留まり、隣りの親子の「ハ長調は簡単すぎて練習曲にならないわ」という会話を無視して堂々と購入。大好きな「ハナミズキ」「別れの曲」「ジュピター」等の楽譜をみて、すでに弾けたかのような錯覚に陥りもしたが、本の中の「やはり音楽は幼児期の早期教育の影響が大きい」の言葉に現実に戻され、ピアノを辞めた事を悔やむ。でも、練習を重ね、稚拙なタッチでも、酔っている自分がいる。音楽にね。モンスターに、早速習わせようか。いや、奴のピアノを弾いているイメージがどうも湧かないが、音楽の楽しさと酒の呑み方は(そこまで生きられたら)教えてあげたい。自分の人生は結局のところ自分で創り上げていくもの。しかしそれは、自分のためだけに生きるということではない。自分だけが愉しめる人生など存在しない、とおもう。
そしてなんと言っても人が人に与える最高のものは、心である。他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、真の人間としての証がなされる。そう、語ってたのは100歳で今だ現役医師である日野原先生。彼から見れば、私などまだまだひよっこ。世のためとまではいかなくとも、残りの人生、愛するひとたちのために何かしらお役に立てればと、そんな自分でありたいと願う。