偶然にも前回のブログで取り上げた吉本隆明氏がお亡くなりになりました ここにご冥福をお祈りいたします そして17日は松尾リーダーの命日 ひとはその時が来た時にジタバタしないでいられるだろうか・・・ 「私は余命一ヶ月・・・お父さんが迎えにくるって約束してくれてる」が、口癖の母 毎朝の会話に、人間ができていない私は聞き流すことができず、つい言葉を荒げてしまうことも なぜなら脳梗塞を数年前に患ってから、その後定期健診ではどこも異常なしなんだけど、なんちゃって後遺症は本人の自覚症状のみ、いつしか「オオカミばばあ」のレベルと化し、担当医も含め周囲は取り合わない でも、彼女なりに自分の「死」を、何度も何度も、覚悟して来たのだろう 「死」とは、肉体との大断捨離 きっと80歳にならないと見えてこない恐れのようなものがあるんだろう 今の私は彼女の姿から学習するしかないのだが
日曜日、気仙沼復興屋台村ツアーを企画、総勢12人+子供2人でローカル線にガタンゴトンと揺られながら、ホロ酔いながら行ってきました~ 途中、岩手県沖の地震で遅れがでてびっくりさせられたけど、無事に気仙沼駅に着きタクシーに乗り合ってイザ屋台村へ ゆみちゃんに紹介いただいた大漁旗というお店でありったけの料理とお酒を注文して、そのお返しに「元気」をいただく 帰りの電車の時間まで、ゆっくりと散策する 少し行くと震災前に何度も通った南町商店街の辺りへ しかし昔の賑わいはなく、以前よりも美しさを増した海と、所々に被災した家々の土台だけが静かに3.11を語ってくれた
先週3月11日の読売新聞朝刊一面の記事が浮かんできた・・・
使い慣れた言い回しにも嘘がある 時は流れる、という 流れない「時」もある 雪のように降り積もる 「時計の針が前に進むと時間となります 後に進むと思い出になります」寺山修司はそう書いたが、この一年は詩人の定義に当てはまらない異形の歳月であったろう 津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われたひとにとって、震災が思い出にかわることは金輪際ありえない 復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない 今も2時46分を指して止まったままである (中略)ひとは優しくなったか 賢くなったか 一年という発する問いは二つであろう 雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の「時下ろし」をしなければ日本という国がもたない ひたすら被災地のことだけ考えてほかのすべてが脳裏から消えた一年前のあの夜に、一人ひとりが時計の針を前に進めるすべはあるまい この一年に流した一年分の涙を拭うのに疲れて、スコップを握る手は重くとも・・・
この先何が起ころうが、心の軸足をしっかりと抑えること そんなことを気仙沼の地から感じ得ることができた