「お姉ちゃん、お父さんにバレンタインのチョコレート買ってきてぇ」 バレンタインには必ず愛する父へチョコを贈っていた母 いつまでも母の心の中で父は生き続けている 残すものに三つあるという 金、名声、そして一番尊いのは「ひと」 ひとを残すということは、後継者という意味の他に、自らが誰かのこころのなかに生き続けること、でもあるかもしれない 一年で一番底冷えするこの2月だが、MY Familyの女性陣はみな2月生まれということもあり、賑やかな月である そして来月、内々で行う息子の結婚式に着ていく洋服を選んでいる母をみて、いくつになっても「女」だな~とおもう テレビに映った黒柳徹子さんに向かって「私と同世代だけど、あの方は化粧落としたらみられないかもね~ しわが多いわ」との会話に絶句する(笑) 人間的な魅力があればいいんですよ、かあさん 世の中を見渡せば、人生お金じゃないなんて豪語しながら結局金に縛られてるひと いつまでも社長、先生という肩書から逃れられない傲慢なひと けれど、ひとの世は所詮フィクションであり、時は死へ向かって確実に刻まれていくというのに・・・
定年退職後まもなくガンを宣告され、余命いくばくもない実父の姿を記録したドキュメンタリー映画「エンディングノート」娘の推薦で彼女の誕生祝も兼ねて、共に観た この映画はいくつかの要因によって奇跡的にできあがったと思う 次女が子供の頃からビデオを回すのが好きだったので長期にわたる映像の蓄積があったこと そのためカメラの存在を登場人物が意識せずに済んでいること その次女が映画監督是枝氏の弟子となったこと 病院の緩和ケアがうまくいったこと 家族全員が愛し合っていること このお父さんが(ニーチェの言うところの宗教を必要としない)方であったこと等々 映画は「本日はお忙しい中、わたくし事のためにお集まりいただき恐縮でございます 誠に申し訳ございませんが香典はご辞退させていただきます」の言葉からはじまり、最後は霊柩車を見送る場面で終わる・・・ きっとこの映画を観た誰もがそうであったように、私たちも二年前の父の最期を思い出し涙し、自らのエンディングをしずかに問う
以前、元新聞記者の佐々木俊尚さんがイトイ対談で、河北新報の3.11以降連載しているある記事を取り上げて絶賛していた 客観中立がありえないのに、その幻想にすがってる新聞社はおかしいじゃないかと言い続けていたがそこに踏み込んでる河北新報はすごいなと思ったと 今まで日本の中にあった「他人事みたいな感じ」が、図らずも震災を機会に大転換してついに払拭される可能性がある いよいよ「当事者としての立ち位置」が問われる時代、当事者意識のない人はもう影響力を持たないと・・・ ふと、「震災で失ったものは大きいけれど・・・」と涙した宮寒梅の女将の顔が浮かぶ あの震災からまもなく一年 人生では、その時々のステージで様々な課題と向き合う 断捨離とはモノをただ捨てるのではなく、モノと向き合うこと そこに確かなモノが見えてくる
帰り道、美しいおぼろ半月に見惚れた こうして毎晩、星空を眺めることを訓えてくれたのは昨年末他界された山田くんのお父様だった 「星を眺めるとき、ひとは謙虚になるもんです 自分を支えてくれる多くの方々に感謝して、今日一日元気に生きられたことに感謝して」 山田さんの声がこころの中に木霊した