2011年のおわりに一礼して、2012年のはじまりに一礼を・・・ 年末年始の特番を観ながら微笑む母の横で、正月三が日、私は寡黙に書に耽った 小さな悲しみは言葉にできるが、大きな悲しみは言葉にできない そんな哀しみと向き合う日本の人々へ、この本はあまりにも優しすぎるではないか「Essais 」は、フランスのモラリスト文学の基礎を築いたとも評された、 モンテーニュの主著である 私の呑み友、蕎麦の二郎先生は九州を闊歩された後、今頃フグ鍋で一杯やっているのではないかと思はれるが、仏文の二郎先生からお借りしたこの本は、先生の恩師が翻訳された大切な本、エセーとは「こころみ」のことと訳されていた フランスの方丈記とも言われているそうで、私はある一説に鎌倉時代を生きた鴨長明のこころをふっと重ねた 勿論モンテーニュは方丈記を知る由もない
小川の流れは水の絶えることなく 次々に列をなして追いつ追われつ永久に流れている あの水はこの水に押されこの水は別の水に追い越される 常に水は水の中を流れている 小川は常に同じでも流れる水は常に別のものである・・・どう? 方丈記の冒頭の情景が浮かんでくるのはわたしだけじゃない 時代は廻っても、我々の人生そのものがエセー、こころみなのである
「この本が結局ぼくに示唆したことは、自分を質に入れないということだった だいたい人間というものは、学生になれば学生になったで、仕事につけば仕事についたで、結婚すれば結婚したで、父親になれば父親になったで、政治家や弁護士になるとまたその分際で、その社会の全体を自分大に見たがるものである とくに選挙に出る政治家は自分を自分大にするだけではなく、社会が自分大だと思いこむ つまり、自分を質に入れようとする そして、どうだ、質に入れたんだぞ、不退転の決意だぞといばる だが、そんなことはめったに成り立つはずはなく、たいていはその質を入れた質屋を太らせるだけなのだ モンテーニュはこのことをよく見抜いていて、どんなものにも自分を質に入れて偉がることを戒めた」 そう感想を述べてたのは松岡正剛氏 さすがである
この私はやっとのこと読破して、相方と癒しの酒で正月を〆る 今年はどうか、いい年に・・・
追伸
沢山の金魚が巨大化して襲ってきた夢をみた 夢占いでは金魚は女性の象徴で、金運は大吉とな しかし、襲われたのだから女と金には気をつけろということなのか でもこうして初夢を語ってしまったから、もう意味は為さない 残念