リテンから進呈されたみやぎの写真集「海と風と街と」を捲り、司馬遼ちゃんの街道をゆくシリーズ「仙台・石巻」を読んで、過去のローカル線の旅を振り返り、自分の生きてきた街を愛おしいと思えるようになったのは、この年齢になったからだけじゃないのかもしれない・・・ 人生、得たものより失ったものはとても大きい 夕方、陽が落ちかけた落ち葉の舞い散る街をブラブラと散歩しながら美術館へ 美術館の辺りは高校時代の通学路であり、妙に落ち着く場所でもあるが、紅葉がこんなに美しかったとは知らなかった 暫しその美しさに立ち止まり、17世紀のオランダの人々の気配を感じながら絵画の美しさに酔った ヤン・リーフェンスの「机に向かう簿記係」の絵には一番見惚れた どの時代もひとを愛するこころは同じ ある友人は青春時代に数えきれないほどのラブレターを書いたと言っていたが、この私はラブレター(のようなもの)を過去に一度だけ書いたことがある それは中学二年の冬 淡い初恋というのだろうか、一年先輩の応援団の団長へ一目ぼれした私は、やがて卒業してお別れしてしまう彼に意を決して手紙を認めた その内容はすっかり忘れたけれど、同じ組の女子の先輩に手紙を託した時の、あのドキドキ感とあの光景は今でもすぐに蘇ってくる たった一歳だけ年上なのにすっごく大人に感じて、自分がすっごく子供に思えた時代、そして携帯などない時代 その後、お返事をいただいた しかも英文で・・・ 今なら鼻で笑ってやるところだが、恋は盲目 愛しの先輩の英才さにその想いが増す私 放課後、親友に付き添ってもらい北四番丁の教会へ 外国人の神父さんに和訳していただいたときの、教会のあのし~んとした息の詰まるような静けさを今も思い出すことができる お返事はYESだったと記憶するが、どうしたものか結局彼と会うことはなかった 昔むかしの恋物語である まだ若かった私は、自分の生き先すらわからず、ラブレターを認めているその時間が至福であり、相手を想い筆を走らせている自分に恋しただけだったのかもしれない それは、旅のようなもの 目的地はどこでもいい そこへ向かうときのあの空気感、期待感、そしてどこか懐かしい車窓からの景色に高揚し、季節の移り変わりにいままでの自分を顧みる 旅の終わり、「終点仙台~」というアナウンスに疲労は一瞬心地よさに変わる それは当たり前に帰る処があるからだ 若いころは帰る処の有難みなど気にも留めていなかった 「子供叱るな、過去の自分 年寄り笑うな未来の自分」 あっという間の人生の、その最終章まで、できることなら、感動の旅を続けてみたいものである