というわけじゃないが、日曜の昼下がり、私は北鎌倉の東慶寺に佇んでいた 東慶寺は、松ヶ岡御所ともいわれ、「駆け込み寺」または「縁切り寺」と呼ばれる尼寺だったとか・・・ 鎌倉時代に生きた女性たちの侘び寂び?のような気を感じる閑静な禅寺である ここを薦めてくれた友人はこの鎌倉で生まれ育った 日本のどこで生まれ育ったか・・・ 沢山のひとと出会い、様々な処へ旅をし、この年齢になって、そのことが人間の個性に影響するのだと確信する この鎌倉の地のクオリアをそこで育ったひとに染み渡る不思議な魅力を、その友人は放つ いつだったか、富士宮出身の友人が、毎朝富士山を拝める環境にあるとね、滅入ることがあったときにはいつも目の前の富士山から底知れぬ勇気をもらえるんだよと話していたことを思い出した あの美しい鳴瀬の海を眺めながら生きていた阿部さんを初め、三陸の海の男たちは、被災しても海に戻り海に魅せられ、そして愛し続けるんだろう そんなことを思いながら、そこから鎌倉五山の建長寺から、鶴岡八幡宮へと緩やかな坂道を下り、鎌倉駅まで続く桜並木を潮風の匂いのなか散策する そうか、海が近いんだ 景観は様変わりして、未だ夏の喧騒の残る光る湘南海岸を眺めながら藤沢まで、初めての江ノ電に揺れる 藤沢からは550円のG指定をとり、東海道鈍行列車の一時間は豪華な動く居酒屋の旅と化すのだ 東京での〆は上野のいつもの「肉の大山」で ほろ酔い、戻りの新幹線の中ではお決まりのトランヴェールを読む 今月の角田光代さんのエッセイは偶然にもテーマは「故郷」 東京出身の彼女が、生まれ育った町が東京からどのくらい離れているかが、その人の書く小説に影響するといい 齢を重ねるにつれて故郷は欲しくなる、列車に乗って車窓を眺め故郷が近づくにつれて湧き出る気持ちを味わってみたい、それがないとどこへいくにも「行き」なのだ・・・と綴ってあった 「帰り」のある私はしあわせもん 旅をして一期一会の美しき景色に触れる感動の奥に、ひとはずっと昔の自分を振り返るのだ 愛するひととの懐かしい思い出を重ね合わせ、時めく そして旅の終わりに近づくとき、今ここを生きる自分と再びまた真摯に向き合う 旅は過去と現在をしばし繋ぎあわせる帰り盆のようなひと時なのかもしれない