朝から何やら騒々しい 今、一時避難中のモンスターは毎朝おばあちゃんの部屋へ入りびたって、あるときはおばあちゃんの布団に潜り込んでいつもの会話を愉しんでいるのだ いつもの・・・というのはあの時期の子供が通過する何故なぜ攻撃である 今日はおばあちゃんは具合悪いからねぇといえば、どうして具合悪いの、どこが具合悪いの?お薬は? チョコのお散歩は雨でお休みだよといえば、どうして雨だとお休みなの? そこで雨だと濡れるからなんて安直に言ってしまったらさぁ大変 濡れちゃだめなの?傘があるよ、もしくはどうして雨はお空から降るの?とくればもう母の手には負えず私の名を呼ぶ 内田さんは学力のことを「学ぶ力」と表現して「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なもの「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきと言われていたが、モンスターの会話から学ぶというその健気さというものは大人になっても失ってはならないと感じるのである 学校のお勉強だけじゃなく、多くの書物や遊びを通しての学び、そしていつしか自分の力で人生を旅することができるようになったなら・・・ 「目的地はどこだっていい この国以外の、風の中に立ちなさい そこには君が今までみたものと全く違う世界がある」今読んでいる「伊集院静の流儀」の中には10年後のモンスターへ捧げたい言葉がぎっしり詰まっている 明日なにが起こるかしれない 世界は刻々と変化する 時も待ってはくれない・・・ 今なにをすべきか 昨晩、我が組の兄貴こと平賀ちゃんのお誕生日のお祝いに、二郎先生から贈られたメッセージは「48歳の抵抗」(笑) 平凡なサラリーマンが19歳の少女に魅せられて、現代の倫理と48歳の肉体に抵抗してゆくというロマンスグレーの心理を描く、石川達三の小説 体力は衰えたとしても、酒の愉しみと愛する情熱は失ってはならないということかな~ おめでと