今日も朝からおいしい?味噌汁と白いご飯で一日のスタートを切る 今、「江戸の想像力」という本を読んでいるが、むかしの人たちは米を炊くにも火おこしから始まっての大仕事だった タイマーをセットして目を覚ませばもうご飯が炊けているデジタル化の時代 今もこうしてパソコンを叩いている(叩くという表現自体アナログ)私であるが、超アナログ世代の人間である 一番ムカつくのが車のナビである 先日も、娘夫婦の車に同乗し蔵王ヨーグルト工場でチーズケーキを買いに行こうということになったときのこと 健が「蔵王ファーム」とナビに入力 ナビの指示はどこか違うかも・・・わたしはその時そう感じた 車を走らせること一時間、「目的地周辺です~」と堂々とアナウンスは流れたが、そこは見渡す限りの広~い牧場と健をみてせせら笑っているかのような牛くんたち(笑)工場などどこにもない あんなものが20万もするなんて有り得ない どんなに便利であっても文明の産物は時に間違いを犯す そこに気づき手動運転に切り替えられないのであれば正直意味を成さない 大体、太陽の位置で方角を確認し地図と睨めっこして周りの景色を海馬に収めて、ときに町民の方と触れ合いながら運転するのが愉しいではないか・・・ そんなの面倒? だから、動物的感覚が鈍ってくるのだ わたしは、ワードやエクセルのお陰ですっかり漢字が書けず計算もできない人間になってしまった そろばんや習字が必須だったあの頃を生きてきた人間の愚痴なんだろうか そう思っていたら、内田さんのブログにかくあった 「私は秀才が悪いと言っているのではない。そうではなくて、上から正解が示される前に、論拠も言い訳も立たない時点で、なお自己責任で決断が下せる人間を、統治の要所に一定数配備しておくことはシステムの保安状必須であろうと言っているだけである。別にオカルト的な能力が要るわけではない。身体感度と判断精度を体系的に涵養すれば、胆力のある人間は組織的に生み出すことができる。現に、武道はそのためのものである。それゆえ、胆力のある人間の育成は教育の最優先課題であると私は言い続けてきた。しかし、教育行政の要路にもメディアにも、私に同意してくれた人はひとりもいない・・・と 私は賛同致します! モンスターに少林寺を習わせるんだ、絶対