そういえば風邪で寝込んでいた時のこと 隣の居間から母とチョコの会話が聞こえてきた「貴方は犬なんだからね もう少し犬らしくしなさい」「???」「もうおじいちゃんはここにいないんだからね 分かってるかな?分かってないだろうな」なんの意味がなくとも大切なことはある・・・その昔、私の祖母が「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、食う寝る処に住む処、藪ら小路ぶら小路、パイポパイポパイポのシューリンガン、フーリンタイの、ポンポコナのポンポコピーの、長久命の長助」と口ずさんでたことを思い出す 今ならツイッターである ご承知のように「じゅげむ」とは、誕生した子供にできるだけ長生きしそうな目出度い名前をつけてほしいと頼まれた和尚が、ただゴロがいいからと作ったこじつけのような言葉 しかしこの、なんの意味のない言葉を唱える機会が一日に何度もあることの重要さを、この和尚はよ~く承知しているのであると何かの本で読んだ この子供、親の願いどおり健康にすくすく育ったというが、これとお経のような無意味に長い名前は、たぶん無関係ではない・・・一度この名前をすっかり覚え込み、祖母のようにツイートすることを想像してみてほしい ちょっとムカついてても、たいがいこの名前を唱えているうちに気分は平静になってしまうだろう 今、ビジネスマンに般若心経が流行っているという ビジネスマンならずとも、みな「わたし自身」を信じ、役職や立場という縁で結ばれた虚像を実体であるかのように演じつづける しかも本来は時と場合に応じて無常に演じ分けるべきところ、硬直した「わたし自身」のまま家に帰り、食事中でもお風呂でもそのまま通そうというのだから不自由きわまりない いつも変わらぬ確かな「わたし自身」を構築しようとする真面目な人が、それに失敗してウツになったりもする 時に、「わたし自身」から解放され無になること 無思考な時間が、最良の判断を導く・・・と玄侑さんのお言葉で今年最後のブログを終えたい お互いお正月くらいのんびりと、来年も宜しくです