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宮路オサム、島倉さんは「日本のおねえちゃん」

悼んだ宮路オサム(写真:サンケイスポーツ)

 8日、肝臓がんで亡くなった島倉千代子さん(享年75)の悲報を受けて、芸能界からは続々と悼む声が寄せられた。「なみだの操」の大ヒットで知られる元殿さまキングスの演歌歌手、宮路オサム(67)にとって、島倉さんは芸能界入りのきっかけを作った恩人。4月から数回、電話で島倉さんと直接話した宮路は「日本のおねえちゃんと呼ぶべき人です。島倉さんと出会えて光栄です」と悼んだ。

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 宮路は4月、島倉さんと電話で直接話したという。「数年ぶりに突然、『オサムちゃんと話したいの』って電話がありました。ぼくがテレビで『なみだの操』を歌っている姿を見て懐かしく思ったのでしょう…」と、サンケイスポーツの電話取材に悲しみをこらえながら打ち明けた。

 ただ当時、桜がすでに咲いていたのに島倉さんは「寒いの。こたつに入っているの」と話していたといい、その後、7月にかけて数回電話で話した際も「私はもう声も出ないし、歌うのもきついし、楽しくない」と体調不良を示唆する言葉を繰り返していたという。

 実は、宮路の芸能界入りのきっかけを作ったのが島倉さんだった。

 「高校を卒業して上京し、都内の劇場で照明係として働き始めた初日に、ぼくが照明を当てたのが島倉さんでした。ステージの後、島倉さんが休憩室に来てくれて、お菓子をいただきました。ぼくが歌手志望だと知った島倉さんは、殿さまキングスのリーダー、長田あつしをぼくに紹介してくれた。島倉さんがいなかったら、歌手・宮路オサムも、名曲『なみだの操』も生まれてなかったでしょう」

 「なみだの操」の爆発的ヒットから6年後の1974年、宮路はテレビ番組「夜のヒットスタジオ」で島倉さんと再会。「初出演だったので緊張していたら、島倉さんが『私も同じよ』と声をかけてくれて。島倉さんはあがり症で、本番の30分も前から舞台の袖で待っているような人でした」。島倉さんは、まさしく人生を変えた恩人だった。

 最後に宮路は「ぼくが物心ついた頃から世の中には島倉さんの歌が流れていた。島倉さんは“日本のおねえちゃん”と呼ぶべき人です」と悼んだ。

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