意地悪やいじめ | 今日という日を素敵な1日に。。。

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ずっと

いじめ問題が絶えずあり、

たくさんの方が心を痛めていると思います。

 

ニュースでも

自治体や学校単位で、いじめ問題に対する

取り組みの方法などを目にします。

 

振り返ってみて

私が子供のころどうだったかといえば

やはり、いじめはあったと思います。

 

私本人も、小学校のころ

いじめられたというか、意地悪をされたことがありました。

当の本人は、いじめられたという風に記憶していませんでしたが

大人になってから、母親から

いじめられて泣いて帰ってきたじゃない、といわれ

ああ、そういうこともあったな・・と思いだした程度ですが・・・

 

ただ、それがたいしたことではなかったわけではなく

それなりに、私の記憶にネガティブな影として

残っていたのも事実ですし

いつのころからか、嫌なことは記憶から抹消してしまおうという

気持が強く働くようになり

正直なところ、小学生の頃の記憶は断片的に残っている程度です。

 

ともかくも

いま思い返してみても

相手の子が、本気で私を憎んでいたとか

嫌いであったから意地悪をしたかというと

そういう感じではなく、言い方は悪いかもしれませんが

遊びの延長のいたずら心で、ちょっとした意地悪をしてみたとか

自分のほうが、ほんのちょっぴり相手の優位に立ちたい、

もしくは先生やほかの友達に、私よりいい子だと見せつけたい、

そんな、最初はちょっとした出来心に近い

軽い気持ちではなかったかと思います。

いずれにしろ、私の場合は

それが繰り返し繰り返しということもなかったので

大きな傷にはならずに済みました。

 

今、この社会の中で始まってしまったいじめ問題も

最初のきっかけは些細なことが大半ではないかと思います。

 

相手のことを嫌う、見下す、排除したくなる、

そうなる原因はいろいろ考えられるでしょうが

許せなくなる一線を超える瞬間はどこかにあるはずです。

 

逆にそれを許そう、認めよう、というのは簡単ですが

それを許し認めることは自分の自尊心にも関係してきますし

とても難しいと思う方も多いでしょう。

 

自分と違うもの、自分が認められないものが

そこに「あること」「いること」は自然なことで

この世はいろいろな価値観が存在することが当たり前なのです。

 

そして相手の存在を認めることは、

自分の存在を認めてもらう事でもある、

そう、共有の認識を持つことが

この世で生きていくことの大前提で

いろいろな価値観の中で生きて経験していくことこそが

自分の成長を促すことであるし

自分も、ほかの人たちにとっても

それこそが、生きていく意味でもあると思うのです。

 

ただ、そこまで行きつくことは

その場にいる人たちにとってはとても大変なことでしょう。

 

だからこそ、

些細ないじめや意地悪のきっかけを作らないよう

心配りをしていかねばならないのだと思います。

 

その最初の一歩は

本当にちっぽけなたわいもない事だったりするはずです。

心がチクっと痛んだとしても

痛みより心の高揚感や自尊心の満足感のほうが超えてしまったら

エスカレートしてしまうかもしれません。

 

「思いやり」という言葉では

いろいろな感情や状況に対応するのは難しいですが

それでも、まずは相手を「許す」こと

それが自分にまわりまわって返ってくることになるのです。

 

そして、もし自分がいじめられっこの立場だという方がいらしたら・・・

辛くて辛くて悲しくて

自分の存在さえも疎ましいかもしれません。

でも、でも、大丈夫です。

あなたにはこの世で生きていく十二分な価値と意味があります。

そのつらい状況の中でも

少しでも楽に生き抜いていく方法はあります。

ただ、我慢しろというわけではありません。

抜け出す方法はあるのです。

どうか、自分の“魂”を信じて自分自身を大切にしてください。

 

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