【第6回】尊厳死について<尊厳死を選ぶ派の意見>(2) | [Amebaニュース] あなたのブログで日本を変える!! あなたの意見を聞かせてください!

【第6回】尊厳死について<尊厳死を選ぶ派の意見>(2)

尊厳死

 ■ 【第6回】尊厳死について<尊厳死を選ぶ派の意見>(2)

■生の終わりは突然にやってくる場合と、 自ら感じながら生を迎えるときの2通りがあると思う。 どちらにせよ、 死は誰も免れないものであり、 それがゆえに、個人の生の終わりを自由に選ぶことができるという点で、 尊厳死を選ぶ。 大事な人間に感謝の気持ちが言え、 心の準備ができる死こそ、唯一の死に方ではないだろうか。 (匿名)





■職業がら(医者ですので)、何人もの末期患者の方を見てきました。延命治療は、多くの場合、ただ寿命を延ばすだけが多いです。Quality Of Lifeは、無く、家族の人たちにも多くの負担がかかります。私の経験から、私ならば、効果の無い延命治療よりも、尊厳死を選びます。例えば癌などで、化学療法をすれば、2-3ヶ月延命できると言う場合、その間副作用などもあるし、病院で過ごすよりも、家に帰り、鎮痛剤(モルフィネ)とかで痛みなど軽減するだけで死ぬ方を選ぶでしょう。(匿名)





■延命治療は医者のエゴ、若しくはビジネス。私は自分の意志と肉体的能力が活きたいという意志を持続できなくなったときは一切の延命治療を拒否したい。いたずらに家族に精神的肉体的及び経済的負担をかけずにあの世に行きたい。(匿名)





■無理やり命を伸ばすよりも 最後をゆっくりと受け止めて 死にたい(匿名)






■苦しみながら、また病院のベッドの上で死んだように生きることを本当に望む人がいるのでしょうか?また、家族に大きな負担をかけてしまうのはいたたまれない。。延命治療を続けても続医療従事者にリスクはないでしょうが、辛いのは本人と家族である。生を受けた以上「死」は避けられない。それが遅いか早いかだけであると思うのです。私は結婚後すぐに夫に話していました。「尊厳死」を望んでいる・・・と。それは29歳の時ですが、今も変わっていません。また医療の進歩により長生きする方が増え「老人大国 」なっているのが現状ではないだろうか。(YKさん)





■自分自身の力で生きられないのなら、長く生きながらえる意味が無い。 ただ息をするだけ、心臓が動いているだけの「生」なんか生きたくない。 私は、病院のベッドの上で機械に繋がれて生きるより、自宅で静かに死にたいと思う。 ただ、家族がそうなった場合...ただ生きていてくれさえすれば..と矛盾した事を考えるかも知れない。 でも、生きると言う事は、ただ身体が生きている、と言う事ではない筈だ。 植物人間になってしまっては、生きているとは言えないと思う。(匿名)





■先日、母が癌で亡くなりました。 母も延命治療を望まず、私も同じ考えでした。 この考えは母の最期をみとったことで、改めて正しかったと考えています。( RK406さん)





■尊厳死について。私は尊厳死は悪くないと思います。
回復の見込みのない病気で、死期が迫っていることがわかっているということは、選択肢は二つということです。尊厳死を選ぶか、延命治療を選ぶか。この二つのうちどちらかを選ばなくてはいけない段階にあるとき、残された親族や周囲の人に全てが委ねられている と言っても過言ではありません。
もし私が治療の見込みがなくなり死期が迫りそうな場合、事前に延命治療しないで欲しいと伝えられる機会があれば、尊厳死を希望すると思います。なぜなら、回復見込みの無い中での延命治療はきっと自分自身苦しいだろうし、その分お金もかかります。そしてそれ以上に苦しんでいる私の姿を見られたくないし、周りの人も苦しんでる私の姿を見たら辛いと思うからです。
もちろん時と場合にもよるとは思います。もともと病気で寿命はもう長くないとわかっている場合と、急な事故の場合。
○もともと病気で先が長くないとわかっている場合は本人の希望も踏まえたうえで、周りの人と皆で決めたら良いと思います。
○急な事故の場合は延命治療をしてもらっても良いとも思います。家族の心の準備もあるだろうし、私自身、もし事故でいきなり呼吸器外されたら魂が行き場失ってその辺彷徨うかもしれないから(笑)
でもそれ以上に家族には幸せでいて欲しいと思います。お葬式とかやっぱりお金かかるし(そんなこと気にするな!って家族には言われるかもしれないけど)、もし見込みの無い延命治療でお金使うくらいなら、お葬式すんでひと段落したら温泉でも行って少しは気分晴らしてもらえたらいいなと思います。それで少し元気になってくれれば死んだ私としても救われると思うからです。
一概にこう、とは言えないかもしれないけれど、尊厳死という考え方、死に方があっても良いと私は思います。(レイ55号さん)





■回復の見込みがないのであれば尊厳死を希望します 病気による体の苦痛や徐々に死に逝くのを感じながら自由に動けないまま生きなくてはいけない精神的苦痛から逃れるために。 家族に精神的、金銭的の苦痛を必要以上に与えたくないために。(からす天狗さん)





■自分の力で生きることができないのであれば基本的に延命は必要でない。ただ延命によって回復の見込みが期待できるのであれば話しは違ってくる。医師は個人的な期待は抑えて、可能性や現在の医療の状況などのできるだけ多くの情報を家族に与えるべきではないか?そういう意味でも主治医の力は大きい。ただし医師に決定権はない。 (murasanさん)





■尊厳死は生きている時に選択出来る本人自身最大の人権と考える。 勿論、実施に至ときは厳正なる第三機関による査察を行い、親族に“自身の尊厳死”を知らせ理解をしてもらう事が寛容かと思われます。(匿名)





■人生半ばの年齢になって、最近人は一生をかけて、自分を知って、自分らしく生きていく努力をするのだと感じている。だから、人はまた自分とは違った人と出会い、様々な関わりを持つ中で、教えられたり刺激されたり救われたり癒されたりと様々に支えあって、世界や将来を信じなおして生きていけるのだと思う。  文明社会の中での死で、何よりもつらいのはその人がその人らしく死ねないということだと思う。突然の事故や事件でなくなる理不尽は避けようがないとしても、もし不治の病で余命がはっきりしているのであれば、死は自分の人生を踏まえて決定したい。(匿名)





■職業選択の自由や、居住地の選択の自由と同じように、人は死すべき場所と時を 自ら選択できるのが当然と考える。ただそれにはやはり資格が必要だとも考える。(匿名)




■治る見込みが無いのに、何故延命治療をしなければならないのか。それをする理由が分からない。 家族や病院側は患者が一日でも、一秒でも長く生きていける様にと延命治療をしているのかもしれない。 でも、回復の見込みが無いのに何故無理に延命治療をしなければならないのか。 辛いのは、患者の家族では無い、主治医では無い、看護師でも無い。そう、1番辛いのは延命治療をさせられてる患者なんだから──。 患者の立場になって考えると、本当にその患者が延命治療を望んでいるのか?もし、望んでなかったとしたら? そう考えると私は延命治療なんてしなくても良い。回復の見込みも無いのに一日でも長く生きたくは無い。 だから私は延命治療は選ばず、尊厳死を選びたい。 私は延命治療には抵抗があり、賛成が出来ない。 将来も多分延命治療には反対してるだろう。(匿名)





■今の年齢だとまだ迷いますが(逆さ仏は一番の親不幸だと思うので)、高齢になって子や孫に下の世話やら食事もチューブでしかとれないような状況に陥ったら、迷わず尊厳死を選びます。(匿名)





■延命治療は医療機関の逃げ道・収入源です。自分で意思表明出来る出来ないに関わらず自然な死を選びます。脳死・植物人間は考えても嫌です。また家族や周囲の人の金銭的・精神的負担を考える時断じて尊厳死を選択します。(匿名)





■今は尊厳死を選びたいです。 が、薬を飲むことに慣れている私は、どうしようもない苦しみから逃れるために 投薬を希望してしまうかもしれません。 投薬も「延命治療」に含まれるのなら、 結果的に「延命治療を選ぶ」ということになってしまうのかもしれませんね。 実際に生死に関わるくらいの状況に陥らないと、わからないですね。(匿名)





■治る見込みがないのに、やたれ延命治療を行うのは、実はかなり屈辱的なモノ。





■医療関係者ですが私は尊厳死を選びます。自分で納得して安らかに死にたいですね。延命治療は残酷です。医者のおもちゃにはなりたくないです(匿名)





■すでに限界がわかっているのに、延命治療は必要なのか? ただ苦しむのを長引かせるだけではないのか? ただし、患者自身が何かの目的達成のために望むなら延命治療は絶対的に必要である。 (匿名)





■苦しい思いをするくらいなら早く楽になりたい。(匿名)




■賛成です。(匿名)





■祖父は人工呼吸器をつけて延命した後亡くなり、祖母は自然死を選びました。 祖父母と、その周りで看護をしていた両親や親戚をみていて、 自然死は確かに何もしてあげられなかった気がしてとても悲しいのですが、 安らかになくなっていたのは、尊厳死を選んだ祖母の方で、 延命処置を受けた祖父をみる家族の苦しみ、そして 延命処置を受けてどこか苦しそうな祖父自身をみるよりも、 誰もが安らかだったように思います。 家族を苦しめないためにも、事故などの突然の脳死などではなく、 病気でなくなる事を選択できるのであれば、 早いうちに死と向き合って、尊厳死を選びたいと思います。(匿名)





■悪戯に生命維持のみを目的とする治療ならば、 「周囲の人間が如何思うか」 よりも 「如何に自分らしく、自分の意思で生きるか」 を優先すべきではないかと思います。(匿名)





■延命治療なんて意味がない 身体中にチュウブ付けられて、意識もなく家族は喋ることもできず そういう状態でなにが良いのかさっぱりわからん 。(匿名)





■私は尊厳死を選びます。回復の見込みがなく死期が迫っている状態で、延命治療をしたとしても、私本人は意識もなく、ずっと眠り続けている状態で生かされているのは、自然な事から 無理をさせているように思います。(匿名)





■医学の進歩との関係が 有ります。 個人の生命はいつかは滅びるもの、自然死が良いが、定義が解りません。 尊厳死の定義も 私には、理解出来ない所もあり、神の分野に科学力で接近する事こそ、我々の《おごり》であり、神の本意ではない。自然にすべて従う事です。 (匿名)





■母が脳出血で倒れて、千里の国立循環器病センターに運ばれ、 6ヶ月の入院生活ののちに亡くなった。 入院後、3ヶ月経つと病院から転院してほしいと頼まれたけれど 「こんな意識もなくて今にも呼吸が止まりそうなのに、転院させられない」 と断りました。 でも6ヶ月目には「もう転院してもらわないと困る」と迫られ、小さな町の病院に転院することになりました。 設備の悪いその病院では1週間も持たずに、母は亡くなりました。 邪魔者扱いのように転院を迫られ、6ヶ月も苦しむくらいなら 私はすぐに死なせてほしいです。 私は遺言で「延命治療はしないでほしい」と書くつもりです。(匿名)




■全く問題ないと思います。(匿名)





■私は「 生きる権利 」があるならば、「 死ぬ権利 」も認められてもいいと思っています。故に、尊厳死を選びます。 医療技術の進歩により、死期が数週間、数ヶ月、数年、長く延びることになっても、病人本人よりも家族の負担のほうが大きくなることは明白です。やはりこの命は未来に紡ぐべきだと思います。そのため、子供の中で私の血肉が生き続けることこそが、自然な意味での「 生きる 」という事に繋がっていくと思います。私の分身でもある子供たちには、できるだけ負担を負わせたくありません。 しかし、人間死に際になり、「 生きたい 」という本能が、死ぬことに抵抗を示します。できるだけ不安もなく、楽な方法で合法的に死ねる事が望ましいです。(匿名)





■でも家族の意思も尊重します。 傍にいて欲しいと強く望む家族がいるならば、 苦しみに耐えながら延命治療を受けます。 大切な家族がいないなら、積極的安楽死を選びたい。(匿名)




■楽になりたいから(匿名)




■頼む。(匿名)





■死にたいから.(匿名)





■見込みが無い場合は延命治療は苦しいと聞いたことがあるので、自分の意思で決められる尊厳死を迎えたいです。もし適うなら、最後は自宅で迎えたいと願っています。 常日頃から家族に言っているのですが、もしその時がきたら、医師や身近な家族とよく相談して周囲を必ず納得させて、後で裁判とかトラブルで関った医師や家族に迷惑がかからないように遺言書とかの文書で尊厳死は本人の望みであり、意思でしたと意思をはっきりさせる文書の準備をしてもいいかなと思っています。(匿名)





■どちらかを選ぶようになっているので、尊厳死を選びましたが。。。。。。 その時の自分の生き方によって、違ってくるのではないかと思います。例えば夢半ばであれば、一日でも長く苦しい治療が待っていても生き続けたいと思うかもしれないし、年老いて穏やかに命を終えたいと思えば尊厳死を選ぶかもしれません。自分に意識がある状態で、その選択を迫られた時、果たして今の自分を冷静に受け止めてどちらかが選べるのか、それもわかりません。その瞬間、尊厳死を選んだとしても次の瞬間には生き続けたいと願うかもしれません。 死後の世界が死んでみなくては、わからないように、その時に自分がどういう判断をするのか、わからないと言うのが本当のところです。 ただ、命はいつか尽きるもの。その時に向かって生き続けていることは確かなので、生きている限り課題として考えさせられる問題だと思います。 あとは尊厳死を選んだ場合、病院や家族に法律的または倫理的に責められることがないような環境が整うことを願います。第三者に選択されてしまった場合でも、それが自分を愛してくれている家族の出した答えであれば、私は幸せに命を終えることが出来たんだと思いたいのです。 最期の別れをありがとうとさようならだけで終わりたい。残された人たちに自分が命を終えたことで、周りからとやかく責められるのでは、心残りではないでしょうか。(レイコさん)





■正常な運判断のできる本人の意思があればどちらの選択も尊重すべきだと思います。 かといって実際その状況になる際には本人に意識がある状況であるのは少ないと思われますので、最終的には家族の同意が必須となると思われます。 そういった場合に本人の意思をなるべく尊重できるよう、フォローしてあげる第三者(医師等)も必要ですよね。(こーどさん)





■紫音 と申します。 私自身が7年前、末期ガンで死の淵を彷徨った経験があります。 そこに至るまで随分悩みました。 けれど、私の命は私のモノであって、 まわりの人のものではないと思い、 尊厳死を選ぼうと心に決めていました。 しかし、私が死ねば母も死ぬ… 私が母の入院費を払っていましたので、 金が無ければ「死ね」と言われているのと同じであるという現実。 それだけは決してしてはならないと思い緊急オペに踏み切りました。
そんな時、医療ミスでなった病気… 4~5年前に全国ニュースでも取り上げられた あの「福原泌尿器科」で院内感染で肝炎も併発していた慢性腎不全の母の状態が悪化し、 回復の見込みのない症状… 危篤状態に陥る直前に、何度も何度も確認しました。
母も延命治療を拒み尊厳死を選びました。
私は奇跡的(=責任感と執念だけですが…)に助かりましたが、 母は言葉の通り延命治療を断ったために、 医者はやりたい放題で、 自分のエゴ丸出しで、 最期には周辺機器の電源も落とされ、 金儲け主義の病院の玩具となって亡くなりました。 回復の見込みがない場合、 無駄に延命治療をしても、 苦しみの果てにはいい結果などないのであれば、 本人の希望を叶えることが本当の医療ではないでしょうか?
自己満足のエゴで偽善者ぶるよりも、 「相手が何を望んでいるのか?」 それが末期症状であるならば、 その希望を尊重するのが「やさしさ」だと私は思います。
そして、今も、私自身は尊厳死を選び、 私以外の人に私の命を玩具にして欲しくありません。
特に、付きっ切りで看病もしない人に限って 「一日でも長く…」なんて偽善ぶった言葉を吐きます。 けれど、付き添いをしている人間は そんな残酷な言葉は決して言いませんから…
母の命は母のものであって、誰のものでもありません。 同じく、私の命も私のものであって誰のものでもありません。 本人が望まぬことは、エゴであり押し付けであり、 迷惑そのものです!まわりが人の命を玩具扱いしないで欲しい!!(紫苑さん)