これはルドルフ・シュタイナーの著書に記されていた、「誤謬の存在が超感覚的世界が存在することの証拠となる」という思考内容をヒントとして、自分でちょろっと作成したふつうの論理体系の範疇における(ただし背理法を用いているので文句のある人はいるかもしれない。でもそれはふつうじゃないと思うんで。)、ごく簡単で厳密な論証です。
* * * * * * * * * * *
事実0:人生における誤謬の存在
われわれ人間存在にとっての生、つまり人生において、数々の誤謬が存在することは周知の事実である。
定義1:自然界と自然法則について
自然界とは、そこで生起するあらゆる現象(=: 森羅万象)が、原理的には通常の肉体的感覚器官のみによって認知が可能であり、かつ完全に自然法則に従っているような世界のことである。
定義2:超感覚的世界とは
超感覚的世界とは、通常の肉体的感覚器官では捉えきれないような現象が生起し得る(あるいは生起する)ような、自然界によっては包摂不能な世界のことである。
命題0:超感覚的世界は存在する
【論証の準備】
まず、議論領域を以下のように定める。
議論領域M:
ここでの議論領域Mは、ありとあらゆる人間存在にとっての生(=: 人生)の総体とする。
【論証】
背理法を用いるために、以下の仮定を置く。
仮定W:超感覚的世界は存在しない
仮定を前提とする(=: 真なる命題とする)と、定義2から、人間存在にとっては通常の肉体的感覚器官で捉えられるような世界、すなわち自然界のみが存在するということになる。ところで、森羅万象は定義1より完全に自然法則に従って生起する自然現象なのだから、それが間違っていると考えることは不可能である。(なぜなら、完全かつ不備のないルールによって進行するゲームやシステムにおいては、そのルールに従っている限り、その中で生起することについて「間違っている」と言うことは不可能であるから。)
つまり、仮定Wが真の命題であるならば、Mにおいて誤謬は存在し得ないということになる。ところが、事実0によれば、Mにおいて誤謬は存在する。したがって、Mにおいて誤謬が存在し、かつ誤謬は存在し得ないということになり、矛盾。
したがって、仮定Wは偽の命題として棄却され、命題0はMにおいて真であることが示された。
Q.E.D.