気付けない「気付き」
5月2日(月)友引・丁巳・六白・除・危・華・奈良東大寺聖武祭・八十八夜 (土用)間日・月が木星の北05゚55.9'を通る・月が火星の北05゚31.6'を通る
5月3日(火)仏滅・戊午・七赤・満・室・華・新月・高野山結縁灌頂・京都伏見稲荷大社還幸祭・下関赤間神宮先帝祭・博多どんたく・岩手駒形神社武者行列・(八専)間日・(土用)間日 ・三隣亡
5月4日(水)大安・己未・八白・平・壁・觜・愛知砥鹿神社祭・奈良薬師寺三蔵会
人間の成長のプロセス。
私は今の時代にとって益となる地図を書こうと考えています。
自分の出来る範囲で。
ただ、何故かその地図に泥を塗られることばかり……。
交わした約束は破られていく。
人の信頼を軽く思う人達。
破棄された約束。
信用を失うということは、疑いを生むことに、早く気付いてくれますよう。
差し伸べた手を、掴んで、そのまま自分だけが崖を上がり、差し伸べられた手を忘れる者達。
己が同じ目に遭わなければ、その痛みに気付くことの出来ない愚かな人間様。
その愚かしさを観える者は、占いの場なりで、人間の愚かさについて、良い言の葉を授けていけるもの。
自分の益を優先し、人を押しのけ自分だけ得をしようと考える欲の深い人達。
その冷たい心に、触れる者は減っていくはず。
何故ならば、物事は、循環しているのだから。
その時に風は、ピタリと止むもの。
人の運命を見詰めている私は、そういう場面を幾度も観てきて、大きな難の前に、かなりの還元をしてきた者以外は、波に呑まれてしまう、運の終わる時があることを、日々、どう伝えようか、私は考える者。
この世の言動は、(おそらくは)計算されていて、その点数により、良い時に(運の通帳から)運の引き出しが出来て、悪い時に、運の引き出しが時間外となり、引き出せぬばかりか、今まで行なってきたことの清算が行われるもの。
その時に、目の前に現れる借金取りは、過去に迷惑をかけた人間と似た人間か、名前か、生年月日に関連性が(私独自の観方では)ある可能性が高いはず。(あるいは最も悪い相性の月日に産まれた者)
その時に、忘れられたことが再来し、ヘルプと叫んでも免罪符として支払う大金か何かがなければ、その厄は避けられないかもしれない。
祈りの場で涙を流す人達。
それを理解できないことは幸せなこと。
この世で地獄を観た者たちは、今日も祈りを捧げていく。
だから私も祈ろう、厄の来る日に、その厄が、少しでも減っていけることを。
私は、邪険にされても、祈りだけは捧げていこう。
自分のやったことが、自分に返ってきた時の痛みを想像できない人達のために。
厄の衝撃を、少しでも和らぐ歌を想像しながら。
真っ暗な部屋に、差し込む一条の光りを、招く縁起の言霊を、探しながら。
5月3日(火)仏滅・戊午・七赤・満・室・華・新月・高野山結縁灌頂・京都伏見稲荷大社還幸祭・下関赤間神宮先帝祭・博多どんたく・岩手駒形神社武者行列・(八専)間日・(土用)間日 ・三隣亡
5月4日(水)大安・己未・八白・平・壁・觜・愛知砥鹿神社祭・奈良薬師寺三蔵会
人間の成長のプロセス。
私は今の時代にとって益となる地図を書こうと考えています。
自分の出来る範囲で。
ただ、何故かその地図に泥を塗られることばかり……。
交わした約束は破られていく。
人の信頼を軽く思う人達。
破棄された約束。
信用を失うということは、疑いを生むことに、早く気付いてくれますよう。
差し伸べた手を、掴んで、そのまま自分だけが崖を上がり、差し伸べられた手を忘れる者達。
己が同じ目に遭わなければ、その痛みに気付くことの出来ない愚かな人間様。
その愚かしさを観える者は、占いの場なりで、人間の愚かさについて、良い言の葉を授けていけるもの。
自分の益を優先し、人を押しのけ自分だけ得をしようと考える欲の深い人達。
その冷たい心に、触れる者は減っていくはず。
何故ならば、物事は、循環しているのだから。
その時に風は、ピタリと止むもの。
人の運命を見詰めている私は、そういう場面を幾度も観てきて、大きな難の前に、かなりの還元をしてきた者以外は、波に呑まれてしまう、運の終わる時があることを、日々、どう伝えようか、私は考える者。
この世の言動は、(おそらくは)計算されていて、その点数により、良い時に(運の通帳から)運の引き出しが出来て、悪い時に、運の引き出しが時間外となり、引き出せぬばかりか、今まで行なってきたことの清算が行われるもの。
その時に、目の前に現れる借金取りは、過去に迷惑をかけた人間と似た人間か、名前か、生年月日に関連性が(私独自の観方では)ある可能性が高いはず。(あるいは最も悪い相性の月日に産まれた者)
その時に、忘れられたことが再来し、ヘルプと叫んでも免罪符として支払う大金か何かがなければ、その厄は避けられないかもしれない。
祈りの場で涙を流す人達。
それを理解できないことは幸せなこと。
この世で地獄を観た者たちは、今日も祈りを捧げていく。
だから私も祈ろう、厄の来る日に、その厄が、少しでも減っていけることを。
私は、邪険にされても、祈りだけは捧げていこう。
自分のやったことが、自分に返ってきた時の痛みを想像できない人達のために。
厄の衝撃を、少しでも和らぐ歌を想像しながら。
真っ暗な部屋に、差し込む一条の光りを、招く縁起の言霊を、探しながら。