予報が的中したニュージーランド地震 ~この地震は日本にも因果が秘められている予感~
2月23日(水)先負・己酉・一白・危・軫・心・京都醍醐寺仁王会・わし座R星が極大
2月24日(木)仏滅・庚戌・二黒・成・角・尾・京都上賀茂神社幸在祭・りゅう座R星が極大・こと座β星シェリアクが極小・水星が外合・ペルセウス座β星アルゴルが極小
2月22日。ニュージーランドでM6、3の地震が発生しました。
私はこの日を魔の四日間(21~24日)とし、 特に気がかりなのが、23日としました。
今月最大の注意日とも。
地震は22日にあり、私は、メキシコ、オーストラリア方面は特に注意とも指摘していましたから、ニュージーランドは、オーストラリアの隣ですから、今回の予報は大きく的中しました。
しかし、被害規模は予想を超えています……。
今回は、耐震性の弱いレンガ造りの建物の倒壊が目立っています。
もし私が指摘した日頃、オーストラリア近辺の方が、この魔の四日間だけでも、耐震性の高い建物に避難しておこうとか、旅行に出かけやはり耐震性の高いホテルなどに宿泊されていたらと思うと、震災に遭われた方の運命は変わっていた?
そんな風にも思えます。
私のブログも観ている人がそう増えるでなし、世間は、よほど大きく取り上げるかしなければ地震予報の知名度も上がらないかもしれませんが、逆を言うと、その時にならないと振り向けないほど、感度の悪い方が多いとも取れます。
私は、数年前、全国的に取り上げられた前に、物凄く占いの評価が上がっていて、そのうち有名になると到るところで囁かれていましたが、その時にお世話になった方との付き合いは今でも続いていますが、一時的に興味を示された方たちは、やはり流行だけで近づいたり離れたりされた方たちなので、今と同じで、何か大きく私が取り上げられれば、色々なところから近づいてこられる方が増えるでしょうが、私はいつも同じなのです。
予報も以前からやっていますし、その予報を追いかけるように地震の予想をされる方も現れました。
その方のブログを観られる方からよくメールをいただきますが、私をリスペクトして、どこか嫌味な気がして、性格がよくないなど、擁護してくださることが多いですが、昔は占い記事が皆無だった上に、私が占いに関する記事ばかりを書いていると、占いのことばかりを書くなとか、文句を言ってきたり、それで本人は今、すべて占い記事で成り立っていますから、私の跡を追いかけていると思われてもしょうがないでしょう。
元々ブログも占いブログと無関係でスタートされていますし、それより最近、頭を悩まされることが多く、思うように前へ進めていませんが、この冷たい世間に対して、私の方も怒りをバネに前進していかねばなりません。
しかし、これだけ気分がヒートしていることは、地球の方も再び、熱を帯びてきているのかもしれません。
先日、穏やかな気持ちでニュー呪術を作りましたが、その気持ちに戻らねばなりません。
ただここ数日、気分の悪いことが続いたので、まずは自分の心を鎮めねばならないでしょう。
話を戻し、「ニュージーランド地震」も指摘日に起きました。
「予報」も常に当たるとは限りませんが、この日を魔の四日間と名付けた時に、もし地震も何も起きなかった場合は、どう解釈すべきか、それも考えました。
しかし、それよりも地震が起きる可能性が高い日です。
防災意識が高まるだけでも、被害は少しでも抑えられるかもしれません。
そこに人の暮らしがあり、家族がいますから、予報は言葉ですが、その言葉はただの言葉ではないのです。
それは、愛の言葉。
今回は、救世主的な教会が崩された。
そんなイメージを喚起させられるようなニュージーランド・クライストチャーチ。
そして、そこに日本からは特に富山外国語専門学校の学生たちが多く集っていたそうですが、富山県のその地区か、その学校周囲の方は、その学校及び周辺を浄化していき、祈りのモニュメントか何かを建てることを私は提案します。
今回、被災された方に富山のその学生が多いということは、そこに何か因果が秘められているかもしれませんから。
それにニュージーランドと日本は、非常に国の形もよく似ています。
地震の起きた場所は日本でいえば岩手から宮城に位置付けられるはず。
それも私的に妙な取り合わせですが。
今回も予報が的中しただけに……。
特にニュージーランドと日本は本当に良く似ているだけに、この地震……日本にも何か影響が因縁付けられている?
何故かそんな予感がしています。
2月25日(金)大安・辛亥・三碧・納・亢・箕・京都北野天満宮梅花祭・三隣亡・下弦
ノートに「北と南の境界に何か縁起の悪いものが埋められていて、そこを浄化していくと、少し38度線の厄が祓われる予感」
そんなことを駅地下にいる時に、ノートに書きました。
最近、カンが鈍っていましたが、昨日はカンが高まったせいでしょうか?
でも「北と南の境界の熱が近年、高まる予感」とも、ノートには書きました。
その前後の鑑定では、やはりカンが働き、よく当てることが出来た気がします。
カードとか、道具は逆に、自分のカンを妨げるので、カード類は私にとって、固定観念なのです。
カード占いブームにあってもう私はその数歩先に進んでいるわけです。
過去、カードばかりやっていた時期があって、私は「タロットのお兄さん」時には「MR.タロット」と、倉敷駅時代は呼ばれていましたが、今はカード占いが玩具のように思えて、目の前の方に目を閉じてもらい、昨日は恋愛でしたが、掌を広げてもらい、私に向けて、それで相手の名前を何度か言ってもらい、その波動に集中して、私も目を閉じて私の指の反応を観ました。
そして、額の反応を。
すると、この方の相手の何かを感じて私が口にしたことは「今、冷えを感じました。相手は冷えています。この恋愛は難しいでしょう」
「そうなんです、最近相手が電話にも出てくれないし、もう駄目な気がしてました」と。
私の感じたものは、その恋の熱の冷めた何かだったのかもしれません。
この占いは、いつもやっているわけではないですが、たまたま私のカンがよい状態だったので、やってみました。
占いは、学門で、勉強すれば腕を上げられると考える占いのプロが増えている今、私は、その方向性にも沿ってはいますが、独自のインスピレーション力を開花させているのかもしれません。
金曜日のキセキで、花凛先生が、最初に出た時はとても抽象的なことしか言われなかったのに、三人の女子アナを占った際、とても具体的なことを言われたので、その時に、私は花凛先生は、女子アナの際は、裏を知っていると直感しました。
理由は、もし能力が同じなら、最初に出た時も具体的なことを言うはずです。
ただ橋本京明先生だけは毎回、同じなので、もしどこか嘘があっても鉄壁な策を立てていることでしょう。
今の占い師で、あの方ほど具体的に当てることが出来る人は皆無なだけに、真意は誰しも気になっていることだと思います。
上地一美先生も、よく何年は良いと指摘しますが、これは星の運気から出しているので、あの方はカンと星の両刀使いかと思います。
しかし、彼女がテレビで急に腹痛を起こす数秒前に、私の体にも異変があったので、あの方はやはり鋭いカンをもたれていることでしょう。その件は以前書きましたが(鑑定者のある過去の不幸を感じ取って、急に腹痛を訴え、水晶をお腹に当てるシーンのことです)。
さて、今日不思議なことがありました。
冒頭に韓国と北朝鮮のことを書きましたが、それを書いたノートに。
ある書物に書いていた「山鳥」という言葉が気になり、その書に書いていた「次は山鳥が来る」というフレーズを何故か書き留めたのです。
その後、お客さんが訪ねられたので、名前を聞いて、その方の名前を書いていた手が止まりました。
「……」(言葉が止まった私)
「どうしました」と。
「ちょっと、このノートを観てもらえますか」
「?」
「そこに『次に山鳥来る』と書いているでしょう、ノートの最終ページで、実は先ほど書いた言葉だったんですよ」
「山鳥って、私の名前じゃあないですか?」
「私も驚いています」
そして、その方が帰られた時に、そのノートにタイトルを付けていたことを思い出しました。
そのノートのタイトルは「予言集」
ということは、そこに書いたことの何割かは、実際に起きるということ?
まさか?
しかし、そのノートに「次に山鳥来る」と書いたことは何か意味があった?
今年は、鳥の難の年と何度も言ってますが、その鳥という字が気になり、書き留めたのですが、そのノートは、何かあの世なりどこかの星からの信号を記録しやすいノートなのでしょうか?
それは神のみぞ知る。
さて、明日の土曜日と日曜日は、岡山駅地下で占いコラボを行います。
2月26日(土)赤口・壬子・四緑・開・氏・斗・八専始め・月が最南・カシオペヤ座RZ星が極小
2月27日(日)先勝・癸丑・五黄・閉・房・女・(八専)間日・一粒万倍日
今日は、私の裁きの日だったのでしょう。
私の心は失望し、今は何もする気分ではありません。
運がないと考えましょう。
ただ私はすべてにおいて丁寧に丁寧に積み重ねていき、建築物を建てるように慎重に駒を進めていきましたが、それを崩す風が吹き続け、それと格闘している状態。
世の中は冷酷で残酷で、私もわかっていましたが、失望させられることばかりですが、私はこの人と人とが責め合う世の中で、責めることとはどういうことなのか。
それを鏡に映し出すように、言葉を紡ぎ出していっています。
その鏡にそのまま反射させるのではなく、責め合う果てに待つ未来。
それを説明していっている寓話の語り部。
どこかの会社でも上の人が怒りっぽいと、それが遺伝するように、上の人がニコニコしているとそれが遺伝するように、それも一つの鏡とすれば、その鏡に良い言葉を書いて、その鏡を観せていくファンタジスト。
不美人な人には、補強の線を描いて、その鏡を覗いた時だけでも、美人になったつもりになれることを。
理不尽な人には、普通に顔を映した時でもちょっと怒りっぽい顔になるよう、線をあらかじめ描いておき、その鏡を覗いた際に、自分が怒りっぽくなっていることを気付かせるために。
何故って、鏡は時に真実を映さないから。
ゆえに私の占いは、真実を映し出す鏡。
顔を覗けば、その鏡にあらかじめ描かれている線。
それが、あなたの今の心の状態であることでしょう。
「人は人であるだけで、それはかけがえのないドラマ」
2月28日(月)友引・甲寅・六白・建・心・虚・月と小惑星ベスタが最接近
3月・弥生月・花見月
3月1日(火)先負・乙卯・七赤・除・尾・危・奈良東大寺修二会・不成就日
3月2日(水)仏滅・丙辰・八白・満・箕・室・若狭お水送り神事・根室流氷まつり(八専)間日・243P/ニート彗星が近日点を通過(周期7.5年)
嫌なことは忘れて。
昨年私は地元のテレビ局の製作する「ふるさとドラマ」に出演しました。
そのプロデューサーから電話があり「オオタさんに是非やって欲しい役がある」と言われて、今日はロケに参加してきました。
その時、思ったこと。
前回、吉田栄作さん風な感じの髪形だったからか、今回は、漁師の役らしく、そこでその役から、(マナカナちゃん主演)「だんだん」で漁師をやっていた吉田栄作さんのイメージと重なり、私にその役をやってほしいと思われた、そんな予感が。
早朝の現場までバイクを飛ばして到着。
現場では、知人のMさんがいて、知り合いがいて安心しました。
ミュージシャンをされているイケ面の大山裕さんとそのマネージャーから大山さんのプロフィールデータをもらい、結構活躍されている方がこの街にいると思いました。
音楽コンクールの受賞歴など、ご立派です、関東からこちらに拠点を移されたようですが、この人は私の観方では、勢いがありそうです。
さて、台詞も少ない役でしたが、とても重要な役で、定期的に製作してきて、再度、私に声をかけてくださったことは、感謝いたします。
ただここにいる人は誰も私が占い師であることも知らないでしょうから(知人のMさんが知っているのと、プロデューサーはただ占い師ということだけ知っていて、おそらく地元の中でひっそりやっている程度と思われていることでしょう)。
ですから私は、占星術師オオタ☆ヒロユキとして呼ばれたわけではなく、何かキャラクターを買われたのでしょう?
時間があれば、地震予報のこととか、別件で取材を頼もうとか思うのですが、現場では、本当にドラマのことしか皆、頭がないので、場を考えると、ここで自分のアピールなど不自然ということです。
撮影は裏方は本当に大変ですから、私ものど飴をあげたり、現場スタッフに気遣いしましたが、やはり人間関係を大切に、小さいことでも、そういう些細なところから、今後、良い関係になったり、悪くなったりしますし、この世は、逃れられませんから、小さいことも大きく考えるように、私はしています(自分で気付かないところでは出来ていないでしょうが)。
でも台詞も一発でOKが出て、その途端、皆の顔が笑顔になったので、私も良い仕事が出来ました。
知人のMさんには「演技派」と言ってもらえましたが、いえいえ、演劇のプロは、私レベルではないですし、役者でもないのに、こういう場に呼ばれたのは運だけですから、本当に立派なのは、影でコツコツ頑張っている人ですよ。
でも何かこの役に縁があったのでしょうね。
寒い街道を行ったり来たり、カメラが回っていないところにこそ、真実の人間ドラマがあるものです。
ドラマといえば「ゲゲゲの女房」から朝ドラを観始めた方が、「オオタさんに言われて『てっぱん』も観始めたけど、確かに台詞とかよく出来ていますね」
そうでしょう、朝ドラは、特にNHK大阪が手掛けた際は、かなり高度な内容な話になっているんですよ。
特に人間の心理の描き方、やり取りが。
一番それが大雑把だったのが「ちゅらさん」でした……沖縄の素晴らしさを描いた半面、出てくる人の台詞に深みがなく、心理の動きや、心理の交わし方など、作りが料理でいうところの大味でした。
マナカナちゃんの「ふたりっ子」「だんだん」は、素晴らしかったでしょ。
ただ「どんど晴れ」には驚かされましたが、あれだけ地味な舞台で、あそこまで人間の心理戦を描く力量。
ドラマ論は良いとして、今回私が参加したドラマは、「下津井の町に走っていた電車の思い出」がテーマのとても良い話でした。
ある(認知症の)老人が(初恋の人との思い出の)駅に行き、そこで、初恋の人を待っている姿を観て、地元タウン誌の女性記者が、その老人の初恋の人を探す郷愁の物語。
一つの駅に一つの物語がある。
そんな一行が、印象的なドラマです。
私は、その初恋の人を探す過程で、ヒロインの女性記者から、過去の出来事を尋ねられる漁師の役。
チョイ役ですが、一人の人間の過去をたどるために配置された、鍵を握る役でもあるので、良い役をいただけたことに感謝したいと思います。
地元の下津井節も流れるようですし、美しい瀬戸内海の港で良い空気を吸ってきました。
瀬戸大橋を見上げながら。
帰路で、行きたかった「玉比咩神社」にもお参りができましたし、神社の鳥居に立つとその向こうにある神山の背後から光りが射してきたので、今日のお参りの縁起は、上々だと思います。
最近、逆風にやられていましたが、風向きを変えられるよう、風の歌を唱えましょう。