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第55回NHK紅白歌合戦で歌う島倉千代子さん=2004年(撮影・千村安雄)(写真:産経新聞)
8日に生涯を閉じた、昭和を代表する歌手の島倉千代子さん。数々のヒット曲に恵まれながらも、私生活では離婚、巨額の借金、がん闘病など、多くの苦難に見舞われていた。「死んでしまおうなんて、悩んだりしたわ…」。75年の歩みは、まさに自身の代表曲「人生いろいろ」の歌詞そのものだった。
東京・北品川の裏長屋の6人きょうだいの4女に生まれ、7歳の時、疎開先の長野で転んで割れたビンで左手を切り、出血多量で死線をさまよう。47針の傷跡は小学校でいじめを招き、島倉さんは後に「それから口を全くきかない子供になった」と振り返った。
歌との出合いは、そんな娘を案じた母の親心で訪れた。口を開かせようと母が風呂場で教えた「リンゴの唄」で歌が好きになり、各地で行われるのど自慢大会に出場する「のど自慢荒らし」となって賞品を獲得。歌手志望の姉、敏子さんとコロムビアの歌謡教室に通って技術を磨いた。小児まひだった姉の夢も背負い、16歳だった昭和29年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝した。
翌年、デビュー曲「この世の花」が大ヒット。しかし37年、ファンが投げたテープが左目に当たり、失明寸前の危機に陥る。
さらに信頼する人間からの裏切りにあい、大きな借金を3度も背負った。阪神のスター選手だった藤本勝巳さんとの5年間の結婚生活の末、離婚時に6千万円の借金を肩代わり。知人に実印を預けたことがあだになった手形事件などで、4億5千万円の借金までのしかかった。
しかし、苦境を救ったのもやはり歌。「愛のさざなみ」「鳳仙花(ほうせんか)」などのヒットで借金を返済し切った。63年にはタレントのコロッケさんらの物まねをきっかけに、若者へも人気が広がる幸運も。「人生いろいろ」は大ヒットした。
だが、その後は病魔との闘いだった。平成5年、54歳で乳がんの告知。それでも歌手活動は最晩年まで続いた。
歌うこと以外は不器用だった島倉さん。その歌声は、「人生と歌は一体」と語った島倉さんにしか出せない哀感も漂わせていた。
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