20年カウンセラーやってきて | 感受性の鋭い方の生き方を霊視・心理カウセリング・脳の使い方をアドバイス日原みちるの一言ブログ

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感受性の鋭いために起きる生きづらさを、脳の使い方と捉え方を変化させて、取り除くお手伝いをしています
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マザートウリー代表 日原みちる


いつもお読み頂きありがとうございます😀


今日は私の振り返りを書いてみようと思います。


30代前半は保育士のパートをしながら子育て相談したいなと思いその頃出始めのフアックスでやろうと思い始めたら毎日20〜30枚の紙が届く。

それを毎日返すことが楽しかった。

私30代後半ある時フッと保護者の相談に乗りたいけど。。。


そこでカウンセラーの学校に通うことにしました。


そこの先生は不登校、引きこもり専門の先生でした。


そこで1年学び保育士パートをしながら不登校、引きこもりの親御さんのカウンセリングをしました。


週に1回位通ってもらいその時月に20人ほどの話しを聴きました。


それは壮絶な思いもあり日々どうしようと思いながら一緒に考えながらやっていました。


その中で私がしてもらったのは話だけではなくアドバイスして行動してもらうことでした。


その結果ほとんどのお子さんが少しずつ動き出しました。


でも私は40歳の頃園長の話しがあり一度カウンセラーを辞めて園長をやる中で今度はお母さん達の相談を個別でやるようになりとても忙しくしていました。


その後園長を辞めて今度はある方の紹介で離婚カウンセラーをやることになり電話や対面でやりました。


どんな時も人の話を聴くと決めて夜遅くてもかかってきた電話をとっていました。


時に死にたいと言う話しや一番辛かったのは引きこもりの息子さんが自殺したと夜連絡をもらい駆けつけた時でした。


その時ほどもうやめようと思ったことはありませんでした。


そのほかにも怒鳴られたり責められることもありました。

でもそれすらその方の感情だから強く向き合うことそれは私に対してではなく自分に怒っているから。



それでも電話やメールが来る。


私はどうな時も聴くことが苦ではないから少しでも軽くなりなら聴こうと思いました。


そして会社を立ち上げました。


この仕事が今だに嫌にならないのは母のお陰です。それは愚痴や悩みを小さい時から聞かされていていつしかアドバイスするようなこと言っていたから。


その当時は母が嫌いだったけど今は感謝しています。

これまで何千人の相談にのりこれからもお客様が来なくなるまで続けていきます。


今霊視鑑定なんてやっていますがカウンセリングと霊視を組み合わせてやっています。


それが私にとって一番心地良くできること。


長くなったのでまた書きます。


お読みくださってありがとう❣️