望みにフォーカスしても叶わないのは、なぜ? | 魂の望む今世を生きる智慧

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唯一無二の”わたし"として、この世に君臨し、命を華ひらき、今生を堪能する叡智の記録♡

 

 

 

 

 

  望みにフォーカスしても叶わない…

 

 

望みにフォーカスして、うまくいくときと、うまくいかないとき。何が違う?

 

 

『イタリアに行きたい!』

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『望みにフォーカス!』

     ▼

『イタリア、イタリア、イタリア・・・』

 

 

とした時、『土台』にある意識がどうなっているか?の方が、現実になっていく。



『(望みにフォーカスしないと叶わない。だから)よし!望みにフォーカス!!イタリアに行く!!イタリア!イタリア!』となっているのならば、叶っていくのは『叶わない』ということなんだ。



『叶わないから、望む』という行動を積み重ねていくことになるから。(でも、もしここで、何か行動をしていれば、その”行動分”の現実化は前進する。)

 

 

いつでも、前提にあるものが拡大していく。自分が叶わないと思っていることは、叶わない。

 

 

 

 

  ポッと出てきたら、放置

 

 

『私の望みは叶う』という前提があれば、何をしても叶う。



さらに、この状態で「望みにフォーカス」できると、とっても軽いエネルギーで望むことができるので、そこに執着のようなエネルギーも生まれない。



ピュアで、とっても軽い、雲のようなものとして、ポッと、浮かんでくれている。そして、それはそのまま放置しておくだけ。ポッと、出てきた望みを、ポッとそのままにする。



放置しておくというのは『放置しまーす。私は何もしませーん。』ということではなくて、その望みを放置しておくことができるから、今に集中して、命を生きていくことができる。今を大切にできる。この、望みに左右されない感覚がとっても大事。特に、人間界的な望みに関しては。

 

 

「私の望みは、叶う」という前提の意識がセットされていると、自然と流れができていく。

 

 

 

 

  望むことが必要な段階

 

 

”望みにフォーカスする”ことが重要な段階もある。それは、

 

 

✔︎望みを望みだと認識していないとき

✔︎望むことに抵抗があるとき

✔︎望みに対して、抵抗があるとき

 

 

などなど。

 

 

『望む』ことが当たり前のモードになっていない時には、『望む』というトレーニングが必要。これができなければ、今まで通りの『望みをかき消す生き方』を続けていくことになるから。



望むことを意識すること。これは『生き方』を変えるトレーニングになる。

 

 

 

  強い意志を持っている方が叶うのでは?

 

 

そういうタイプの望みもある。特に、『今までの自分が経験したことがない望み』に対しては、『そっちに行くぞ!』という意志をしっかりと放つことが最初のステップで大切になる。

 

 

これは、ロケットを飛ばすイメージ。次のステージに向かって「GO!」という感じで。そのロケットが『行くぞ』という意志そのもの。

 

 

ここであるあるなのは、この行くぞ〜!』をいつまでも楽しんでしまって結局いつまでも願いを追い続けるループにはまってしまうこと。

 

 

初速では『行くぞ!』がポイントになるけれど、ロケット飛ばして、次のステージにポンと立った後は、その新しい土地に慣れていかないと。その土地で生きるのだから。

 

 

 

 

  叶うプロセスはいつでも予想外

 

 

自分が「こうなれば叶うかも?」と思っている時は、だいたい叶わない。『下心』に似ている心。これが働いているような意識状態は、ほとんど現実創造に繋がらない。



『こうなったら叶うかも』と思った時には、ぜひ内観を。この時は大体が、起点がエゴになっている。

 

 

望みが湧いてきたら、湧いたまんまに。そして、望みを抱いた「後」に、素直に出てくる心が何か?を丁寧に見る。その心にまっすぐに生きていくだけ。

 

 

一見、全く関係ないようなこと、その点がどんどん道を作っていく。バラバラの点は、連なるべき時に、全てが連なって、ガツンと、一つの道に整っていく。

 

 

 

「イタリアに行きたい!」

     ▼

 「仕事を頑張ろう!」

 

これがシンプルに出てくるならそれでいい。

 

 

 

「イタリアに行きたい!」

     ▼

「彼に話してみよう!」

 

となるならそれでいい。

 

 

 

「イタリアに行きたい!」

     ▼

「ふとインスピレーションが浮かぶ」

 

ささっと、実行。

 

 

 

 

  イタリアに行く準備→決意の意識

 

 

ちょっと話を戻しまして。イタリアに行くことが「大きな望み」と感じている状態の時には、イタリアに行く前提で行動してみることはとても効果的。



その行動が、『イタリアに行く』ことを、自分の人生に実際に起こる出来事であるという意識を養ってくれる

 

 

『どこのホテルに泊まるか、候補をあげていく』

『どんな服を着るのかを考える』

『行きたいお店をピックアップする』

などなど。

 

 

その行動をしている時というのは『イタリアに行く』という前提の意識を、疑似体験できる。この疑似体験に、自分の感覚を乗っけていく。この感覚に人生を沿わせていく。

 

 

 

 

  そもそも・・・・

 

 

行けるのに、行けないと思っているパターンも案外とっても多い。

 

 

「え、お金あるよ?」

「え、休みあるよ?」

「え、やってる人いるよ?」

 

 

今の自分が既に実現できるということが、盲点に隠れてしまっている。ささっと気づくだけ💓

 

 

 

 

  基本ベース「自分を生きる」

 

 

人生を生きるスタンスが『他人任せ』『他責思考』だと、望みの現実化が遅れていく。そもそも、人は唯一コントロールできない。



「人=私」であるから。自分がそのまま投影されている。・・・ということは、自分が望みを叶える気がないのだから、周りにいる人も『望みを叶えるということに対して消極的な姿勢の人』で溢れていく。真顔

 

 

『この人生を生きているのは、私である』という土台で生きているからこそ、とっても有り難いルートで願いが叶っていく

 

 

 

  この人生を生きているのは、私

 

 

という、この意識。

 

 

この意識が土台になるのだが、『私が、私の人生を、生きているんだ!』と強く主張しているような状態は、執着っぽくなっていて、欠乏のエゴとリンクしていたりする。



(この状態の時にはしっかり内観して、自分の本心が今何を思っているのかを、見ていく💓)

 

 

『自分を生きている』ということを、認識していない状態を目指すとGOOD。自然と『私が、私の人生を、生きている』という土台に立てている状態だ。この時、人生の流れは、軌道に乗ってゆく。

 

 

 

  意識で叶えようとしない

 

 

こうやって言葉にしてみると、意識を、頭で理解して体現していこうとするって、とっっっっっても複雑で繊細であることがわかる。笑💓

 

 

だからこそ『体感を育もう』『器を育もう』なんだ。『自分の魂を生きよう』なんだよね。



人によって意識の使い方は様々で、それを本当に言語化しようとしたら、一人一人に当てはまる言語化が必要になる。



『実践してみないとわからないよ!』とよく言われるのも、抽象度の高いものを、自分が実践することで、自分のやり方を見つける必要があるからでもあるんだよね。

 

 

そして、エゴを生きるのではなく、魂を生きる在り方というのは、『魂を生きる』というその在り方そのものが、宇宙だとか、見えないエネルギーがしっかりと動いていく状態になっているから、自然とあれやこれやと、ことが進んでいく。

 

 

考えすぎない。活用しようとしすぎない。

常にシンプルへと向かう。



自分をより自然な状態に持っていく。

削ぎ落としていくことが、何よりも大切なこと💓

 


 

 


 魂の望む今生を堪能しよう💛 AyaKa

 

 

 

 

現実創造はnoteにて解説中

 

 

​4月8日スタート💖