実は一度、ダラダラと文章を書いていた。
そうすると少し答えが見えた気がした。
文章を書きながら、いろんな自分と問答を繰り返した。
速くなっていくネットと現実の世界のリンク。
それに追いついていない自分。もとい、
追いつく必要性に疑問を持つ自分。
生まれる矛盾。矛盾。矛盾。
わたしはどうしたいのか。
何に迷い戸惑い、
日に日に世界とのズレが大きくなっていくように感じるこの感覚は何なのか。
結果、わたしは“支配”を捨てればいいのだと気づいた。
長年、“素直になりたい”と思い続けていたけれど、
“素直になる”ことよりも“支配”を捨てる方が先で、
そうすると、色んな糸がほどけるような気がする。
そのきっかけは、もうすでにあったのだ。
枚岡神社で、人生で初めて心から、深く腰を曲げて頭をさげてお礼をしたとき、
素直な心がやっと見つかった気がした。
わたしがどうして長年、人が祈る姿に美しさを感じてきたのかがわかった。
羨ましかったのだ。その素直さ、清々しさ、飾らなさ、すべて。
“支配”を捨てたわたしは、
連動した繋がる現在の世界を、またどんなふうに感じるんだろう。
それはまた、これからわかっていくことだ。