前回の本ブログでは、男組復活祭が「琉球新報」のコラムで取り上げられたことを報じた。

この記事を書いた同紙の新垣毅記者は、この春、沖縄の本社から東京支社報道部に異動したばかりだ。

異動に先立ち、部屋探しのために上京したのは3月上旬のことである。通勤に便利な物件を見つけ、会社と提携している不動産業者に入居を申し込んだ。

その翌日──不動産業者から電話がかかってきた。

「大家が入居を拒んでいます」

理由を尋ねる新垣記者に、不動産業者は恐縮しきった声でこう告げた。

「琉球新報の人間には貸したくないと言ってるんです」

どうも大家は「右寄りの人」だという。沖縄の新聞を「偏向」だと喧伝するネットや保守系媒体に影響を受けた物言いであろうことは想像に難くない。

同時に、「沖縄そのものに対する嫌悪のようにも思えた」と新垣記者は話している。かつて、沖縄からの出稼ぎ者が多かった「本土」の一部地域では、「琉球人、朝鮮人お断り」の貼り紙を掲げるアパートが珍しくなかった。新垣記者には、そうした時代の風景が二重写しとなる。




いま、「嫌韓」ならぬ「嫌沖縄」ともいうべき空気が社会の一部に流れている。異質なものを排除し、蔑視する動きの中に、間違いなく沖縄も組み込まれている。差別と偏見で武装した排外主義は、「敵」を必要とすることでようやく成り立つものだ。蔑むことで「敵」は生まれる。そして排外主義の向こう岸には殺戮と戦争が控えている。これは歴史の必然だ。

1903年の「人類館事件」を思わずにはいられない。この年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会(大阪博覧会)で、アイヌ人、台湾人、朝鮮人、中国人、インド人、アフリカ人、そして琉球人が一堂に集められ、「人類館」と名付けられた展示パビリオンで「見世物」にされた事件である。

生身の人間が「展示」されたのだ。当然、民衆の好奇の視線にさらされる。主催側は「あくまでも人類学の研究」だと強弁したが、外交問題に発展したのは当然だった。もちろん琉球人も反発した。

垣間見えるのは当時の日本人の異なったものへのまなざしと、驕り、歪んだ優越感である。

日清戦争から8年、日露戦争開戦の前年という時期である。軍事的な膨張主義が世の中に蔓延していた。博覧会も国力誇示を目的とした政府の威信をかけた事業だった。そこに動員されたのが人々の差別意識と優越感だった。

排外主義は軍事的な膨張主義とリンクする。人間の営みを無視した差別や優越意識が、戦争への扉を開く。


「差別の問題に敏感でありたい」と新垣記者は言った。

沖縄の歴史と、そしていまも、排他と差別の「気分」にさらされる沖縄県民の苦渋と向き合っているからこそ、「敏感」な問題意識がペンを走らせているのだ。

本土との力関係のなかで「弾除け」の新基地建設を強いられている辺野古の問題も、根底にあるのは、人間の存在をないがしろにする差別ではないかと私は考える。

沖縄バッシングとヘイトスピーチは地続きの問題だ。そして──辺野古は鶴橋と、川崎と、新大久保と、地下茎で結ばれている。

私たちもまた「敏感」であり続けたい。

沖縄で響く悲鳴は、社会が軋む音でもある。

(や)

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男組は今も差別の只中にある沖縄の声に呼応し、行動を止めない。
男組一同


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