私の青々と茂った夏には、金魚とスッポン、蝉、インゲン豆、ピアノ、そして古い人形が2つあった。幼い頃、私の家にオモチャが一つもなかったことを後から知った祖父は、小学生だった私にオモチャを一つプレゼントしてくれた。いつも温かく抱きしめてくれた祖父と祖母が大好きだった私は、悲しいことがあると、こっそり祖父母の家を訪ねる癖があった。しかし、祖父は他界する際、私の頭に手を置き、「元気に育ちなさい、弟(妹)と仲良くね」と言葉をかけてくれた。祖母はあの世へ旅立つ時、高速バスの運転席から私を見て「先に行くね」と表情で伝え、私がその窓を叩くと「あんたはまだ来ちゃ駄目だよ」と言葉を投げかけた。
実は私は、亡くなった人の顔をあまり見ることができない。死者の顔を見るのが怖いというのもあるが、彼らは今も私の心(精神)の中で共に生きていると、信念のように信じたいからだと思う。祖父母は私に残したいものが、思った以上にたくさんあったようだ。私はお二人の最期の姿を見届けられなかったことが、一方ではとても申し訳なく、もう一方では、病気で苦しむ姿を見て大泣きする私のせいで、祖父母を困らせてしまうのではないかとも思った。
今でもお二人の話をすると涙が溢れ、この文章を書いている今も、激しい豪雨のように大粒の涙を流している。私はいつもお二人に会いたいし、正直、旅立たれてから長い年月が経った今でも、その事実がうまく信じられない。おじいちゃんとおばあちゃんが、空の上でいつまでも幸せに暮らせるよう、心から願っている。
私が愛おしんだ時間は、雪の降る練習室の窓辺を眺めていたあの日にあった。木々に雪がこんもりと降り積もり、ベランダに出てしばしの寒さに身を震わせているとき、「寒いから、もうお入り」と声をかけられた、あのかけがえのない時間。
休みの折、両親に何も告げぬまま、静かに高速バスに揺られて地方へと赴き、また往復のバスでソウルへと戻ってきた記憶も、ふと脳裏をよぎる。見方によっては「学生の身で一人歩きなど危ういのではないか」と言われもしたが、乗り込む前に乗車券を買い求めながら「どちらまで行くの?」と尋ねられる、その何気ない言葉たちが好きだった。
最も信頼していた二人がこの世を去り、傍らにいた人たちも一人、また一人と別れを選んでゆく中で、私自身もまた、最善의 選択を迫られたことがあった。私は同僚たちと、病院や葬儀場へ思いのほか幾度も足を運んだ記憶がある。いくばくかの金を手にすれば、ただ己のために費やすよりも、共に尽くした力の方が大きいと思えてならず、その大部分を病院代や葬儀の費用、そして私を含めた他の同僚たちが食いつなぐための費用へと充てた。
ある日、こうした事実を知らない誰かに、ふと問いかけてみたくなることがあった。「重症ゆえに病室に入った人」と、「何の前触れもなく去っていった人」、あるいは「長い付き合いの末、結局はお互いにもう会わないと約束を交わした人」がいるならば、果たしてどのケースが最も哀しいと思うか、と。
歳月が流れるにつれ、私はもう、この三人について具体的に語ることはすまいと心に決めた。むろん、大切な存在だからでもあるが、かつての同僚たちは皆、自らの行動が他人に知れることを望まない人たちであったがゆえに、その約束を守りたかったのだ。彼らもまた、私の話を他所で口にすることは滅多になかった。
最後に語ることができる話があるとするならば――私のかつての同僚たちは、3人の女性と3人の男性、1人の恋人によって構成されていた、ということだ。
海との冒険は2度あった。海深くへと沈んでいった日、砂浜の近くで倒れた日。普段から写真が好きだった私は、旅のルートにはいつも、必ず一度は海を選んでいた。海との冒険があったにもかかわらず海を愛おしむようになったのは、海の美しさに屈してしまったせいもあるだろうが、ただぼんやりと海を眺めていると、昼となく夜となく、私が恋しく思うすべてのことに思いを馳せる時間が生まれるからであり、その魅力に惹かれて訪れてしまうのだと思う。
ある日、同僚の幼い子供から「いま幸せなのに、どうして恋しく思うの?」という質問を投げかけられたことがあった。この問いを向けられることは度々あり、尋ねてくる人々に対して、いつも変わらず同じように答えていた記憶がある。
「それを大切にしていた分だけ、恋しさは共存するものであり、それをいつも大事にしていたいからこそ、恋しく思うの。幸せというものは、恋しさを手放した瞬間に薄れてしまうものだと私は思う。私たちには恋しさがあってこそ、幸せがより輝くものだから」
一度、ある同僚からの返答に衝撃を受けた日もあった。
「恋しさを手放したからといって、幸せが消えたり減ったりすることはないよ。恋しさは君が大切にしている素材なのだろうけれど、幸せはその瞬間を十分に楽しみ、感じるべきものなんだ。君は強くなることばかりに囚われている傾向がある。私たちのために幸せを諦めなくてもいい。君がやりたいことを続け、前へと進んでいってほしい」
温かい言葉たちだった。ぼんやりと海岸に向かって佇んでいるとき、私をそっとしておいてくれた人々に、いつも感謝していた。
だんだんと遠ざかっていく関係に慣れることができず苦しんでいるときは、不思議とカレンダーに目をやる習性ができた。しかし妙なことに、日付の欄にやるべきことを書き込みながらも、「今日は何日だろう?」と、あえて直視したくなくなるときがあった。擦り切れるように過ぎ去っていく時間に、負けたくないという言葉が思い浮かんだ。意味もなく生きたくはないと、そう呟くように不満を漏らしていたとき、家の近くにいたカラスのことを思い出した。
鳥たちは自由に飛び回っているけれど、明確な目的地を持って飛んでいるのだろうか。それとも目的地などなく、目に映るままに進んでは、偶然辿り着いた場所で羽を休めているのだろうか。鳥たちにも行きたい未来があるとするなら、どのような目的地を目指して進むのだろう。鳥の中でもカラスをとりわけ嫌う人が多いという文章を目にし、ある日、やるせない気持ちになった記憶がある。カラスの攻撃性や鳴き声が嫌いだという意見が大半だった。動物はもともと言葉を話せず、鳥は犬や猫のように直接的なしつけをすることが難しい生き物でもある。彼らの生活環境や生息地を最大限に尊重し大切にすることこそが、鳥たちが人間を警戒せず、人と共に平和に生きていく道なのだと思う。
すっかり大人になった私だが、子供の頃にあまりできなかったことをやってみたくなることが時折ある。雪だるまを作ってみたり、スキーを習ってみたり。幼少期に対する心残りはあまりにも多いけれど、両親だって親になるのは初めてだったのだし、親の性格も尊重すべきだと思うから、親を責めるような真似はすまいと努力している。年齢が満30歳になり、自分が親になったらどう振る舞うだろうかと想像してみたり、友人たちの記憶を振り返ったりする時間が、近頃よく増えたように思う。
様々な関係の中に、決して思い出がなかったわけではない。それなのに、自分が予想していたよりも孤独を感じ、虚しく思えた一部の状況が頭をよぎるせいか、関係を一瞬にして断ち切ろうとした瞬間が思い出され、再び後悔の念が押し寄せる。ただ、こうした行為も年齢を重ねれば慣れていくものだと書かれた文章には少し救われもしたが、自分と相手の立場は異なるものであるため、見方によっては私の方にも非があったのだろう。関係があまりにも一方通行であれば、それはひどく困惑させる悪い行為になり得るのだから。けれど、何はともあれ、本来自分が苦しいのであれば、関係を断ち切るのが正解なのだと思う。
「自分を愛し、私は私、あなたはあなたなのだから、自分とは違うあなたを尊重して生きていきたい」と言っていた2020年。当時、私は様々な環境が重なり合い、苦しい時期を過ごしていた。だから、自分をどうにかして生かしておくために、私はある目標を立てた。2021年から2022年にかけての事業者計画を練り上げていったのだ。どうすればこれまでの自分の活動に、新しい意味を生み出すことができるのだろうかと悩み始めた。アカウントを爆破し、2023年から再び作り直す中で、目には見えなくとも支えてくれている会社や人々のおかげで、今の私はまだ息をしながら持ちこたえられているのだと思う。私は隠し立てすることなく自分をさらけ出し、他者を保護し支持できるあらゆる方法に心を注いでいる。
最近の膨大な情報をメディアを通じて目にすることもあれば、直接AIに問いかけることで、見つけられずにいた情報を発見することもある。また、普段から知っている情報を活用し、自らネイバーやダウム、クロームなどを通じて検索し、望む検索結果を得ることもある。
私を待ってくれている人々に伝えたい言葉がある。もし、あなたのもとへ歩み寄る時期が遅く感じられるのだとしたら、そこには「たとえ休む期間があったとしても、その期間が過ぎれば、どんな形であれ活動を継続していなければならない」という前提があるのだと伝えたい。活動を諦めることなく生きようと努力している限り、私は間違いなくあなたに近づこうと努力しているのだということを、どうか忘れないでいてほしい。
ある日、展示を見る基準はあるのかという質問を受けた。「無題」のように、正確にはないと答えた。多少なりとも失望させてしまうかもしれない返答であったが、サブタイトルとして「作品に対する個人的な惹かれ(引力)がなければならない」と言い添えた。作品が細部まで緻密に塗られているから、作品が美しいから、作品が特異だから、といった理由は私の選択には存在しない。そのようなものは審査員がすることだ。もし文章にそう書いたとしても、それは作品を鑑賞した後の私なりの表現にすぎない、と伝えたい。しかし、いつも作品を見て帰ってきて思うのは、自分の選択が正しかったことに深く満ち足りており、観覧の選択を後悔したことは、確かに一度もなかったということだ。
友達になることに対して、私は警戒心が強い。一緒にご飯を食べることも、友達になる過程の一つだと捉えている。共に食事をすることを断った発言が、相手を傷つけていないことを願うばかりだが、もし私に現実的な心の余裕と経済的なゆとりがあったなら、よほどのことがない限り、相手からの提案を拒むことはなかっただろう。
また、一緒に何か作業(クリエイティブな活動)をしてみたいという提案を2度受けたことがある。1度目は、最初はいいと答えたものの、対話を重ねるうちに「この人を選択してはならない」と思うようになった。理由は三つあった。相手が約束を守る度合い(信頼)が私の目には小さく見えたこと、親しくなる過程においてお互いの礼儀を守る姿勢が見られなかったこと、そして、私が彼らと共に描く未来が鮮明には浮かばなかったこと、である。直接会って、冷静に私の考えを伝えて断り、その状況を終わらせた。
もう1度は、個人的に文章に書き留めたのちに結局は消してしまったのだが、相手が私をブロックしたことで私も心の扉を閉ざしつつあり、直接伝えることはできなかった。先ほどの相手とは異なり、この人は「私に具体的に何を望んでいるのかがよく分からない」という点が、拒絶したかった理由の一つだ。作品性が高く、非常に惹かれる作家ではあったが、私とコミュニケーションを取る姿勢がほとんど見られなかったため、共に何かをしたところで、そのもどかしさが変わるだろうかと思った。
そして、もう一つ理由がある。私にとっては、この理由こそが断りたかった大きな要因だ。私に提案を持ちかけておきながら、具体的な期日の約束がなかったため、ただ言葉を安易に投げかけるタイプなのだろうかと思ってしまった。偏見なく生きようという信念はあるが、私の目には、相手がトレンドを追いかけているだけなのか、それとも単なる興味本位なのか、まるでプレイボーイのようなタイプにしか見えなかったのだ。綺麗な人だったが、いつブロックを解除するのか、少し気になりはする。