日本の馬術で金メダリストのバロン西こと西竹一に想いを!! | 隠された闇情報を分かりやすく暴露する田中の新生日本情報局

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パリ五輪での日本の活躍振りは、連日報道されていますね。
本当に嬉しいですね。

その中で、日本が得た久々の快挙と言えば、馬術競技でしょうか。
何と、92年ぶりのメダル獲得ですよ!!

そして、その快挙の背景ある、筆者より貴方も貴女も、皆様にも、覚えて頂きたい事があります。
それは、日本の馬術で92年前のオリンピックにて金メダリストとなったバロン西こと西竹一に想いを馳せて頂きたいのです!!


7月30日13時01分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「「われわれは勝てり」日本馬術界92年前の金メダリスト「バロン西」 硫黄島に今も眠る」の題で次のように伝えました。

『(前略)

パリ五輪馬術の総合馬術団体で29日、日本が銅メダルを獲得した。馬術競技における日本勢の五輪メダルは、1932(昭和7)年ロサンゼルス大会以来2個目。92年前に金メダルに輝いた西竹一(たけいち)は「バロン(男爵)西」の愛称で知られ、先の大戦末期の昭和20年に激戦地の硫黄島で散った伝説の金メダリストだった。

西は、外相を務めた父を幼少時に亡くし、男爵の爵位と遺産を継いだ。陸軍士官学校を卒業、チャプリンらハリウッドの著名人とも交友を持ち、社交界ではバロンニシとして知られた。


1932年8月のロサンゼルス五輪。当時の馬術は、大会最終日にメインスタジアムで行われる注目競技だった。約10万人の観衆が見つめる中、陸軍騎兵中尉だった西は、障害物を跳び越える技術と速さを競う「障害飛越」の個人種目で優勝した。

「We won(われわれは、勝てり)」

メダル獲得後、愛馬との絆を「われわれ」と表現した西は、スタンディングオべーションと「バロンニシ!」のエールに包まれたという。

西は大戦末期、戦車連隊長として硫黄島へ渡り、昭和20年3月に戦死。五輪でまたがった愛馬ウラヌスのたてがみを最期まで身に着けていたといわれ、現在も遺骨は見つかっていない。



西の栄光から92年後に再び日本馬術界にメダルをもたらした4人は、全員が昭和生まれで平均年齢41・5歳。「初老ジャパン」と自称しながらもアクシデントを乗り越え、バロン以来となるメダルを手にした。

(以下略)』


本当に、硫黄島に散った約2万人の英霊の一人でもあるバロン西こと西竹一の遺志が、そして天からのご指導が、パリ五輪馬術で92年振りのメダルを日本にもたらしたのでしょうね。

筆者は感動と涙を禁じ得ません!!
きっと、貴方も貴女も皆様も、同じお気持ちかと存じます。


日本の馬術で金メダリストのバロン西こと西竹一に想いを!!




日本の馬術で92年前の金メダリストのバロン西こと西竹一と、愛馬ウラヌス
出典:ウィキペディア


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