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「逆コースの最たるもの」との折紙をつけられながら、いま着々と名称を内務省と変えながらその準備は強引におし進められている。
右手に警察をもち、左手に防衛軍を握る時代もそう遠いことではない。

◎内務省復活を待望
 内務省の復活を最も強く待望しているのは自治庁である。

 内務省解体で総理庁の一課に過ぎない自治課に圧縮されてしまった地方局は、曲りなりにも国警本部という体裁をとれた警保局に比べても惨めなものだった。

 地方財政委員会、選挙管理委員会という行政委員会が時勢に押されて次第に後退していくにつれて、自治課も徐々に大きくなり、選任大臣を持つ自治庁にまで発展した。

 ここまでのし上がってくれば、次に狙うのは知事官選、内務省の復活が当然日程に上がる。

◎戦前派で占める警察庁
 占領軍が日本に進駐を開始してきた騒然たる情勢のなかで、時の内務大臣山崎巌は「治安維持法は勿論、治安警察法を廃止する考えは全くない」と言明した。

 しかし、特高警察の廃止など一連の総司令部の指令に驚いた内務省は、地方制度、警察制度の改正は必至と考えるように変わり、先手を打って自主的な改革で新しい情勢に対応しようとしたが、すべての警察改革草案は、憲法草案と同様、一顧もされず、総司令部の勧告、指令に基いて青写真通りの新警察法が誕生した。

 旧警保局官僚は、新警察法の公布と同時に、いかに新警察法を改正するかの研究に没頭した。
 その後、講和発行とともに、警察法の改正は公然とさけばれ、遂には乱闘国会という未曾有の混乱ののち成立した。
 その改正は、自治体警察の思想は抹殺され、国家警察一本を狙ったものであり、警察官僚は見事に失地回復を成し遂げたのである。

◎地方行政を牛耳る人びと
 明治初年の廃藩置県以来、官尊民卑の風習は中央から地方の一小村にいたるまで、官員さんが長と名のつく椅子にあぐらをかいていた。高文をとった内務官僚を最上級とするかれらは、天皇の名を使い、日本帝国の威厳を肩にひけらかせて国民を鼻であしらってきた。

 それが戦後、とくに地方首長公選の制度が占領軍の至上命令で布かれてからというものは、米の供出にしても、官選知事は一粒でも多く出させれば大手柄だったが、公選知事では逆に一粒でも少なく供出させることが手柄となった。
 情勢一変、まさに大変革だった。

 しかし、知事公選の実績をみる時、知事独裁に徹底し、人事はすべて知事ごのみに配属され、選挙資金が出そうなポストには直系をつけるとか選挙スローガンを担当して見事なし遂げれば直ちに論功行功章が行われるが如きである。

 こういう観点から地方政界に、また地方公吏として活躍する人のうち、官選時代に生まれ育てられながら、新しい公選時代にも花を咲かせている内務官僚の分布図をみるのも無駄ではあるまい。
 全国の知事のうち、内務省出身者は13名、内務系に属す厚生、外務、通産出身は七名に達している。

 内務省の力は分散され、かつての地方局は名を自治庁と変えても、地方交付税、地方起債など財政面でガッチリと首根っこを握り、各省ことに文部、建設、厚生また補助金制度などのヒモつきの金で各地方を操る。

 こうなっては各地方とも副知事、総務部長などには内務官僚をもってこなければならない。
 個人的なつながりというよりも、官僚閥の連帯感が、何かと仕事をスムーズに運び、知事の色合い如何は関係なしに行われる。
 内務官僚出身者は、知事のワンマン行政に辻褄をあわせ、割り切って権力の影にまわり、思う通りの行政をやり通す影武者だ。