その限度を突き破るものは、仕事の上の実力ではなくて、高文(内務省採用)のコースを辿る以外に道はない。
高文制度の歴史は古く、内務省が創設された明治19年頃まで遡る。
内務省のみに限らず、各省どこでもこの制度は厳密に守られていた。
この連中を「資格者」といい、「特進組」(資格者にあらざるものが部長、局長に抜擢されるケース)と対照的に呼んだ。
資格者としての誇りなのであろう。かくて資格者は特進組に対抗して団結した。
先輩、後輩、そして序列に従って行動すること、時には婚姻関係を結びながら団結を強めた。
さながら旧軍人がこの方法によって軍閥を組成したと同様である。
こうして幾代にもわたり官僚閥は行政という名において、国民の上に君臨してきた。
戦後「公僕」と表面上の名前を変えはしたものの、その実態は何ら変わっていない。
強力な組織と団結は、占領軍による分散をもはね返して着々と旧態復帰をねらっている。
分散が最もひどく影響した内務官僚の場合とくに顕著だった。
警察庁の設置、内政省への統合、知事官選などが行政機構改革の波に乗って進められた。
そして資格者が資格の威光を得々として下僚に押しつける時代が再び出現しようとしている。
ここで戦前と戦後の官僚制度、とくに代表的な内務官僚について比較してみると、最も目につくのは、政界への進出、すなわち立法府である国会への進出である。
本来官僚は行政府での実力者ではあっても、立法府においては、単に政府の説明委員にすぎない。
たとえ立法府で議する法案を彼らが行政上の立場からつくり上げるといっても、それはあくまで政府の一員としてである。
官僚のヒモ付きでない、純粋な政治家としての官僚出身議員は何人いるであろうか。
戦後の国会議員には、いつも官僚出身者が三割程度を占めており、分布図をみると官僚グループのうち内務官僚が最も多い。
ほとんどが戦後はじめての当選組みであり、また追放解除組みである。
宗主国______内務省______________________行政委員会
|_______外務
|____________防衛
|_________________警察
|_______司法
|____________厚生
|_________________労働
|_______建設
|____________運輸
|_________________通産
|_______郵政
|____________歳入
|_________________文部