シンクロニシティ現象という記事を書いたが、

他にもいくつもある中で、以前に、最も大きなインパクトを感じさせられた現象が起こったことがあった。

割と身近な私の尊敬する一人の方が亡くなられてからもう七年以上もの歳月が過ぎたが、

氏とは、生前、何度かお会いし、力をいただいたことがあったということもある。

何よりも、生まれ育った家が、私自身が生まれ育った家と同じという境遇が、

常に強く意識させられた存在であった大きな理由の一つである。

(このことを証すことによって、特別な目で見られてしまうのが嫌なので、書くのを控えたい気持ちもあったのですが、思い切って、必要な範囲で書くことにします)

そして、その強烈なシンクロニシティ現象を体験させられたことも、より身近に感じさせられている一因でもある。

それは、私が以前勤めていた会社で社長に対して、このままではいけない、このままではこの会社に明日はない、と、

会社改革の提案書を提出した時の出来事で、

私は、幹部の方々が越権行為とでも言って、いろいろ非難してくるのは予想されはしたのですが、

もうそんなこと言ってられない、緊急事態なんだ、と意を決して首が飛ぶことも覚悟で提出したのでした。

それは1997年の10月19日のことでした。

それから、40日後に、次元は国家次元ですので、
私のそれよりもスケールは全然違いますが、時の首相橋本氏に、似たような危機感を募らせ、緊急提言!と氏が改革案を突きつけたのでした。週刊誌上に大々的に掲載されたのでした。


そして案の定、私の時も、ある幹部から、自重を求められたり、

妬まれて非難を受けたり、いろいろあったのですが、氏においても、やはり、時の執行部から、

頭越しにされたことで、非難を浴びたのでした。


しかしながら、共に、周囲の眼は同調、支援する声が大きかったのでありました。

その時の、体験を私は、その後、1998年の党内の総裁選に出馬する少し前に、

応援する手紙文に交え、ちょっとお伝えしたのですが、(というよりも、総裁選に出馬するなどとは夢にも思ってない中で、たまたま、私がその手紙を出したのですが、そうしたら、その10日から2週間ぐらいのうちに、政局が急転し、出馬する流れになったのでした。)

その後、1999年の秋の彼岸に墓参りに帰省した際に、私の帰り際に、

やはり入れ違いのタイミングで墓参りに来られた氏が、私とすれ違いざまに、

「頑張れよ!」と言われたのでした。

私は、少し驚いたのでした。

普通、久しぶりに会ったのだから、「久しぶりだな」とか「元気か」とかのはずなのに、

いきなり「頑張れよ!」と言われたので、

そのあと、その似たような体験をしたことを書いた手紙のことを思い出し、

「ああ、あれ読んでもらえていたんだ」と思ったのでした。

もっと細かい出来事を書いていくと長くなるので省きますが、

不思議なことがあるものです。

これはひょっとすると、いまだ、氏、いや、師との間の秘密なのかもしれません。

また、その日、師は、うちの父に、私を応援するかのようなコメントを言われ、

父は訳がわからず、聞いていたとのことだったのでした。

師が亡くなられた日、私は号泣しました。

師の果たしたかった国の確かな未来づくりに私も、私のできることで精一杯努めて、恩を返していきたいと思っています。





追記1:
この話をもうちょっとだけ理解していただくために、書き加えると、
若かりし頃、私は、その方の紹介を受けて入社した会社を、割と短い期間でやめてしまったために、顔に泥を塗ったと、親から言われ、
もちろん私にも当然責任はあるのですが、それで、選挙や世渡りの、しがらみだけで、生きている私の親が、
その表面的なところだけを見て、また、様々な誤解や世間体から、私と、大叔父との接触を割と意識的にずっと妨げてきたのでした。
それで全く平行線の関係がずっと続いていたがゆえに、感激もひとしおだったのです。
※『どん底からの脱出(8)』に関連記事


追記2:
参考に、師に出した手紙文も掲載致します。


『 謹啓 時下ますますご清栄お喜び申し上げます。

 だいぶ遅れてしまいましたが、昨年秋の彼岸に実家で撮った写真ができておりましたのですが、

ずっとお渡しそびれていたので、今回、送らせてもらうことにいたしました。


 また、この度は国会議員在職25周年、こちらも本当におめでとうございます。

心からお祝い申し上げます。期間(25年)もさる事ながら、

その中身において、普通の人にはとても真似する事ができない、濃く、

深い内容がぎゅっと詰まっているものと感じております。しかし、

それとてあくまでマスコミを通して私達が見聞きする内容からのみ判断している事ですので、

そこに現れない、表舞台には決して出てこない数多くの御苦労がその背後におありになるのではないかと察する次第です。

いつも新聞、雑誌、テレビ等を通じて、その活躍を拝見しながら、その度毎に、

私自身、大きく刺激を受けておるものであります。

そして、親族の一員としてこの上ない誇りを感じると共に、

自らの励みとしておるのが実状であります。

 また、最近実は、こんな事がありました。忘れもしないのですが昨年の10月19日、

私は、今年で入社6年目になる、私の勤めている会社(××××××㈱、△△業)の社長に、

予てから、構想しまとめていた、

『××××××株式会社への真剣なる緊急提案』と題した数十ページに及ぶ提案書を完成させ、

直々に渡すという行動を起こしました。

そして、そんな行動の余韻の覚めやらぬ間(一ヶ月ほど後(※正確には40日後))に、

私は朝刊の広告欄(週刊文春)に○○○○さん(※先生とお呼びした方が宜しいのでしょうが、

距離が遠くなってしまう感じがしてしまうので、

敢えて○○さんと呼ばさせてもらいますが...)の

『緊急提言・わが日本経済再生のシナリオ』の見出しを見つけて、ひどく驚き興奮致しました。

私はその週刊誌をすぐにコンビニで買って、関心を持って目を通しました。

そして、新聞、雑誌、テレビなどで、その論文への波紋や、

それに関する○○さんのインタビュー記事などを読んでいくと、その中には、

次のような発言が見受けられました。

「やむにやまれずに書いた」

「書いたら必ず悪口言われる。それを覚悟の上で言葉を出すことが、

今の政治家に求められていると思う。

受け入れられるか、受け入れられないかは別として、

警鐘を乱打しなければ、という危機感なんですよ。」


それは、国家を相手にしている立場と一中堅企業が相手という立場とでは、

そのレベル、次元に大変大きな差がありますが、それはまさに、その、

前述した提案書を社長に渡した前後の私の気持ちと非常に合致するものであり、

まるで私の気持ちを代弁して下さっているかのようでした。

渡すのも大変勇気がいりましたし、首が飛ぶ事も覚悟の上での提出でした。

そして、その後数日間は、軽いながらも神経性の胃炎になりさえしました。

また、実際、その提案に対して、考えのある人達からは、そうそうまさにその通りだと、

かなりの賛同を受けたのですが、中には、出る杭は打たないと気が済まないかのような反応を示す人もいて、

「自重して欲しい」とある種の圧力をかけてくるケースもあったわけであります。

しかし私も、そのような、トップに提言をしたという行動の背後には「抜本的な対策を講じなければ、

この会社に先がなくなる」という深刻な危機感がやはりそこにあったからなのであります。

そして企業を取り巻く環境が大きく変わり、どんどん悪くなっているにもかかわらず、

何ら社員に明快なビジョンや方針が示されないことに、痺れを切らし、

誰も声を上げないならと止むに止まれずに書いた物でもあったのであります。


 余談になりますが、国家も企業もやはり、同じ〝組織体〟という事で共通項が多いのでしょうか、

自分のまとめた提案を、その後改めて眺めてみますと、その内容は、国家の変革、

改革にも共通する点が非常に多いことを発見致しました。

私の提案の3つの柱が、

1.ビジョンの再構築、

2.組織形態のスリム化及び、分社化(権限委譲)、

3.教育及び評価システムの変革

なのですが、国においてもやはり今いろいろなされている改革のその先には明確なビジョンが必要ですし(→1)、

行政のスリム化や、地方分権なども重要な課題でありますし(→2)、

教育の問題は、今日非常に重要な避けて通れない問題になってきています(→3)。

先に述べましたように、もちろん考える範囲の次元が、

国家と一企業とでは天と地ほどの差があると思いますので、私などが、

わかったかのように語るのは大変憚ることでありますが、まず何よりも、今回、

お写真とともにこの様に手紙を書くまでに至ったのは、

○○○○さんの昨今のご活躍~~相手にとって耳の痛い事であっても必要とあらば、

批判を恐れず、勇気を持って、声を上げるその姿、生き様~~に、今更ながらに、

いたく感銘を覚えたからであり、
そういう気持ちを抱いた一人の国民として、

その感動の気持ちをここに表現し伝えたかったからであり、また、例に漏れず私も、

より良い社会の実現を願う一人の国民として、その実現に向け全力を注がれる

その行動に感謝と支援の言葉を少しでも贈りたかったからであります。

また、私の一件などは何ランクも次元の低い話ではありますが、似たような境地を味わった事に、

ある種の驚きと強い励みを感じ、押さえ難い気持ちを止められずに、

ペンを執ってしまったものであります。一ファンからのファンレターと思ってお読みになってくださればと思います。

事実そんな思いで書きました。それではこれからも、お体にお気を付けて益々、

国や故郷や世界のためにご活躍されていって下さい。

謹言

平成十年七月四日
 〒XXX-XXXX×××××××××-××-×-×××
       電話XX-XXXX-XXXX
○○○○

追伸、お忙しい身であられますので、読まずに捨ててもらって構いませんが、

私が社長に渡した、提案書も、ついでといって変ですが、同封致しました。

その中の、2.改革の3つのテーマ、4.踏まえるべき改革の重要ポイント、

それと、5.然るべき人材(リーダー)確保の問題、などは、

国家改革にも共通する所があるなと、感じています。』



※08年別ブログ掲載記事より抜粋