自分は正しい、自分は間違ってない、
大抵の人は、そう思っている。
自分は間違っている、自分が悪い、
などとは、なかなか思いにくい。
思いたくない。
一生懸命やっているなら尚更だ。
一生懸命やってきたなら尚更だ。
間違いを認めたくない。
誤りを認めたくない。
過ちを認めたくない。
もし、ひょっとして、間違ってたかな・・・と思っても、
自分が、恥をかきたくないし、
自分が、責められたくないし、
自分が、損をしたくないし、
逆に強情にもなる。
逆に意固地にもなる。
完全な人間なんていないのに、
自分は間違ってないと言い張ってしまう。
自分は完全だとでも言ってるかのように。
仮に、100%自分が正しくて、
相手が100%間違ってたとしても、
自分に非があるかもしれないという姿勢を常に持っていたなら、
自分があえて主張しなくても、
あなたが正しかった、と
どこかで、正しい審判が下される時が来る。
その時を待てばよい。
もちろん、自分が間違ってるかもしれないが、こうも考えられないかと、
必要な主張をする必要はある。
仮に、100%自分が正しくて、
相手が100%間違ってたとしても、
自分に非があるかもしれないという姿勢を常に持っていたなら、
思わぬ、今まで見えなかった、自分の勘違い、間違いに気付かされ、ハッとさせられることがおこるかも知れない。
それは、自分の成長への大きな切っ掛けとなる。
それは、お互いの成長への大きな切っ掛けともなる。
わずかな心の姿勢の違いが、発展を生み、
わずかな心の姿勢の違いが、発展を阻止する。
”自分は正しい”
を、否定する心の大きさと余裕を持っていこう。
押してもだめなら、引いてみる。
逆に、
”あなたは正しい”
にどんどん近づいていくことにもなるから。