80年代からこっち、ずっーとグローバルグローバル言ってたくだらん流れが、到頭、遂に、ようやっと「おしまい」になっていく。
バンザーイだ(^o^)
拙者は、(音楽などはさておき)「産業レベル」でインターナショナルっつってるときから、何か気持ち悪いと感じて、さらに、グローバル生産だグローバルサプライチェーンだと騒ぎだした頃から、はっきり言って"吐き気"を覚えてきた口である。
この異様さを、少なくとも、会社だの産業界だのにおいて、感じている人を見たことがない。
やがては、そうした違和感を覚えない人ほど、勇んでまたは競って殺人ワクチンを求めていた記憶がある。
寅が言ってることも、BRICKSが言ってることも、極めてまともである。グローバルとか言ってきた連中とそれに違和感を感じなかった大多数(の日本人)は、「おしまい」の時を迎えている。
私たちは米国に鉄鋼産業、アルミニウム産業、製造基地、防衛産業基地を確保します。
好きなように呼んでください。
これは経済ナショナリズムだと言う人もいるかもしれない。
私はそれを常識と呼んでいます。
私はそれを「アメリカ・ファースト」すなわち、これがこの国を築いた政策であり、それがこの国を救う政策だ」と呼んでいます。