BRICKSについて、たとえば直家GO氏は、真っ赤なお国が日本を丸のみし、BRICKSに取り込んだあと、アメリカ側(カバル勢力)との戦争の盾とするという視点で常に語っている。
これは、習近平氏が未だにかつてのまんまの中国共産党の棟梁として君臨しているという仮定に基づいており、基本的にロシアに対しても、これまでの"おろロシや"の視点のままである。
 
ここは、実のところ何を根幹として見るかによるところであり、氏の見方も違うとは言いきれない。
しかし、Qの視点が存在すると仮定した場合……拙者は最終的にはそれがないと人類は存続できないと思っているから、人類の未来を見るならばQの視点がなければ見られないと思っている……やはり、BRICKSについて、氏とは正反対の見方となる。
すなわちそれは、トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席のトライアングルが新世界を切り開こうとしているところが、動かない大前提となるのであり、つまりそのためにBRICKSが台頭しているという視点である。
 
しかし、それがどのようなタイムスパンであるのか、それはわからない。それ故に、たとえば日本が新世界が姿を現す前に崩壊してしまう可能性も相当にあると思えてならない。
この意味では、都知事選や、エボラ武蔵村山またレプリコンといった直近の非常事態に対して、ホワイトハットが日本を救ってくれるのかどうかわからないのだから、GO氏の直近の警告は、そうした視点で受け止めるべきであろう。
 
だが、直近の日本を一旦外して世界を考えるならば、やはりBRICKSは人類へのギフトである。
 

 

 

 

アレクサンドル・ドゥーギン「文明の芸術」

サンクトペテルブルク国際経済フォーラムでは、多くの会議、討論、講演が行われました。イズボルスク・クラブのメンバーである哲学者アレクサンドル・ドゥーギンは、「BRICSの文化的基盤。BRICSは新たな文化市場になり得るか?」というセッションで意見を述べました。

世界の現状においてBRICSが何であり、BRICSが果たすべき役割を理解するためには、人類が置かれている状況を再考する必要があります。前世紀の90年代以降、あるいはそれ以前からグローバリゼーションのプロセスは一極モデルでした。つまり、グローバリストでありリベラルな西側諸国は、「われわれの文明は独自の文化的価値の担い手である。発展したければ、技術、政治、経済、文化、外交、教育において我々のようにならなければならない。私たちのようになれば、人類はひとつになる。そしてひとつの世界とは、イデオロギー的なポストモダニズムの基準を全人類に拡大したグローバルな西洋のことである。この基準で統一しよう」と主張しており、また、それを主張し続けています。

しかし徐々に、グローバルな西側諸国以外にも主権を持つ主体が現れてきています。これはアメリカの政治学者サミュエル・ハンティントンが予見していたことで、彼は文明の衝突が起こると言いました。ハンティントンを読み、最初の言葉である「衝突」に注目すると、私たちは大きな間違いを犯します。しかし、私たちは2番目の言葉、「文明」に注目すべきです。

https://www.geopolitika.ru/ja/article/arekusandorudouginwen-ming-noyun-shu

👆の記事、続きがリンクから見られますが、大変興味深い内容でしたよ🤔
日本人が既に「次世代モデル」だと言われることに合点がいったような気がします🧐

少し抜粋しますね👇

「サンクトペテルブルク経済フォーラムが、多極化をテーマにしているのは偶然ではありません。
私たちの仕事は、すべての意見を聞いた後で文化協力の大陸を発見し、正当化し、発展させ、その輪郭を描くことです。
私はそれを市場とは呼ばず、マルセル・モースの言う贈与、贈与経済と呼ぶ事を希望します。私たちロシア人は交換を好まず、贈ること、与えること、誰かに贈り物をすることが好きなのです。
私たちの客人や友人に対する態度は、心からの贈与であり、この贈与経済の文化的基盤は、より大きな人類の中で敵意を通じてではなく、愛を通じて、真に人道的で、真に友好的な互いの態度の例を示すことになると確信しています。」


👆この「贈与経済」や、「文化の対話」として、全ての文化を排除するのではなくそれを包含して発展していく、というBRICSの目的は、まさに日本が既に体現してる日本人の特質のことのように思えましたよ😉