デモな日本。隔世の感あり。

しかし、拙者は直接の体感ないけど、60年安保の頃吹き荒れた学生運動なんかもあった日本。

ただ、今回のデモは学生ではなく、普通のおじさんやおばさん、老人の姿も見えたが。


なんちゃら48だとか、そんなんばっかしテレビでもやってた頃、311以外は、毎日毎日ただ過ぎていた気がする。

来年には世の中変わるのじゃないかとか、そんなこと期待しながら、来る日も来る日も過ごしていた。

それは、何かに夢中になって充実している気がしてた人たちも同じだろう。


そこへあのウソコロと殺ワクが降ってきた。

世界ではロックダウンが続き、そして超大規模のデモが各地で起きた。

日本では、ベー氏たち先導の小さなデモ以外、まだ何も起きなかった。


そして、あれから3年を経過し、その"結果の入り口"が見えてきたとき、ようやっと何かこれは変だったかもしれないと感じる人がだんだん出てきた。

そして、今日、それでもやっと4~5万人くらい……1億の人口で……のデモが起こった。


もしウソコロも殺ワクも死亡者もいなかったら、相変わらず日本人は、ジャニと年増タレントとタワマンと不倫とブロックチェーンに埋没する毎日を、ただぼーっと過ごすまんまだったに違いない。

さらには、雨や食物に混じって知らないうちに身体に取り込まれた酸化グラフェンが限界量まで身体に接種され、そこへ5Gによりグラフェンが異常反応を示し、何も知らないうちに、今現在とは比較にならないレベルの死亡者が大量に一挙に溢れることになったかもしれない。


勿論、この危険が去ったわけではないが、少なくとも酸化グラフェンという存在や、5Gの危険性などが、ウソコロと殺ワクを追及する中から発見された(ことになっている)。


もし、ウソコロや殺ワクや尊い犠牲がなかったらと考えると、もっともっと、単に希望も見いだせないような状況に陥っていたかもしれない。いや、きっとそうだろう。


隔世の感とはいえ、まだまだこれくらいではある。

いつでも人間とは自分でひっかぶらないとわからない。

しかし、やはり3年前とは全く違う世の中にはなっている。

NESARA GESARAを選挙で謳う人が現れたりする。いいにつけ悪しきにつけではあるが、その用語が街頭で語られている現実は、3年前は予想もできなかったかことだ。

宇宙人の存在も、最早、いるいないなどという矢追純一氏のテレビ特番時代では考えられなかったように、その辺の人の殆ども普通に宇宙人はいるものと、どこか感じているだろう。


"変わる"ということを、人間は畏れ、面倒くさがり、臭いものに蓋をして、できるだけ先送りしたがるものだ。ことに日本人はその傾向が強い。勿論、拙者もそうである。

しかし、地球温暖化だとかのなんちゃって理由ではなく、このままでは人間が自然から、時空から置いていかれる……つまり、ついていけないために消滅する……瀬戸際にあるのだと思う。

それ故、今、気づかねばならない、そして"変わる"ということに胆を据えなければならないのだとしたら、その切っ掛けが必要となっただろう。


ウソコロや殺ワクや尊い犠牲は、その切っ掛けであったと観じるものである。

逆には、それですら未だ目に入っていない、見ようとしない(変わりたくないから)、何も感じていない人たち……どれくらいだろう? 半数はそうなのかな……この人たちは、白黒の黒(悪)以上の確率で、消えていくしかないのではないか。


おそらく、白黒の黒よりさらに、白黒の中間にいる、変わることへの抵抗が強い多数が、シフトから取り残され消滅する対象となるのだ。

つまり、ゾンビ脳こそがシフトから見たボトルネックなのである。


白黒によって起こされたウソコロと殺ワクという現象は、シフトに少しでも多くの人が取り残されないために、より大きなエネルギーのもとに起こった現象なのかもしれない。