爆発だ!
それは、感動などでは言い表せない、もっとずっと深く、存在の根底から揺り動かされるもの。
爆発だ! という表現しかないだろう。
存在とは、生命力だ。
爆発だ! によって、生命力へのフォーカスを思い出した。
生命力は、管理だのマネジメントだのの範疇外だ。
生命力のないものだけが、支配され得る。
恐怖とは、生命の恐怖であり、そこへフォーカスすれば生命力が後退していく。
だから、自分の中に毒を持てなのだ。それは変な薬物を打つことではない。
他から……生命力のない管理された他から……毒と思われるようなものを持てということだ。
自身は、そんなものに脅かされるヒマはない。自身の生命力は、そんなチッサイどーでもいーことに付き合っているヒマはない。自身の毒は、自身の生命力を脅かさない。むしろ高めるものだ。
雑草と蔑視されるものの中に、生命力が見える。
路傍の石ころは、生命力そのものだ。
肉を喰らうとき、生命力が混じりあう。生命力の多様性が生まれる。
ウソの中には生命力が足りない。
ホントに見せかけたウソには、さらに生命力がない。
化粧をして異性の目を引く裏側には、生命力の隠されていることがある。その欲望がウソでないときは。
化粧をしなければ外に出られない者には、生命力がない。
風の時代とは、平然とマイナスに飛び込める時代である。
平然とネガティブに飛び込める時代である。
うまくあるな、きれいであるな、こここちよくあるな、とは、土の時代にもてはやされた姿勢を戒めている。つまり、ネガティブを平然と受け入れられない生命力の枯渇を戒めている。
模倣やコピーの中に、生命力はない。常に生命力は、オリジナルである。