曇ってて見えない満月🌕よ。

なーんで昨晩は見えてたのに、今晩に限ってみえないかなぁ。


うーむ。


さて、若い人の悩み。恋の悩み。

あー、若いなぁ。若くていいなぁ。

と思うのは、歳とりすぎたせいか。

ま、そーだろー。


いや、今だって傷つくし、悩むっつか、モンモンとしたりすんだけど。

すんだけども、何つーかな、ある意味それほどグッサリグッサリ来ない? って感じかな。


じじーは感性が鈍ってるとか思われがちだけども。それは、ちょいと違うかなとも思うな。ってのは、たとえば(どーでもいー)仕事なんかでもさ、お若い方々から、こちらがビックリ目を回すような企画が出た試しなかったりすんだよなー(^o^)

こっちの方が、ずっと斬新な企画だっり、よくすんだよ、実際。

なんかっちゃー、ただDXがどーとかさ、“専門用語”まくしたててるだけで。かつ、“リテラシー”だとか、一時間に8万回くらい言ってたりするしな(^o^) こちらとしては、いやどーもどーも、お若くて良いのじゃないか、と。お若くてというより、あおくさくてと言う感じなのかな。話題のカメムシ臭いのと変わらなかったり?(^o^)


ま、それはそれとして。


何で、こう、グッサリ来ないかっていうと傷つくのに慣れてしまったとかもあるのかもしれん。

だけど一方、こんな感じを持ってるからかもしれん。

つまりね、たとえば自分がすげー好き、この人好きっ! とかあったとするじゃない。で、そいつが伝わったりして、相手もこっちをすげー好きになったりしたら、バッチぐー(←死語)ってな感じあるよね。

でもね、その“すげー好き”ってのが、言ってしまえば、違うかなって感じを持ってる……というか、持つようになったんだよな。


すげー好きでいる自分ってのはさ、それこそ、すげーごく一部の自分よねっていうね。すげー好きって意識してる自分なんて、ほんの一部の意識なんだよねっていう感じが、わかってきちゃうとさ、すげー好きってな風にならなくなっちゃうんだよな。


その上、自分なんて、絶対自分では知れない、認識できない自分ってのがあるんだってこと。

たとえば、眠ってるときの自分なんて、知れないわけよね。

心臓や肝臓だって、意識しないで動いてくれてるけど、それも自分でしょ。


さらにはさ、空気とか水とかさ、そん中の細かい粒々……ま、いわゆる波動だけど……それらが、常に互いに影響仕合いながら、常に変転していてね。

その空気や水が自分の身体に常に入っては出ていっててね。

一瞬前の自分と今の自分は、もう違うってことだったりする。

感覚ってのが、そういうところに合ったりすると、“もう、絶対なになに”とか“すげー、どーしても”とかにはならなくなっていってしまうんだよな。


ま、そんなわけで。


なんで満月見えないだよー、と思いながらも、うん、まぁ、しょーがねーか、と。これ、“諦め”とかとちょっと違うんだよな。

諦めってのはさ、その前提に“絶対勝つんだ”とか、シューゾー的な前提があるのでないか?

上に書いたやうに、“絶対なになに”とか、もう無いんだよ(^o^)


成るようになるんだけど、でも、意思ってのはちゃんとあるわけ。流されてるだけってのとは違うんだな。

こういう方向でってのはあるって感じかな。でも、意識できてないことが、まぁ物凄くあるっていう前提でさ。つまり、どうせまだまだよくは分かってなんかいない前提で、でもこういう方向でって感じの意思。

方向だからさ、過程で起きてくる事ごとに、一々、“絶対これはこうで”なんて無いわけだよな。


だから、満月みれねーよなー残念ってのはあってもさ、何がなんでもみるみるんだ、諦めるなとか、そーゆーのは無いってことよ(^o^)


これ、満月見るとか見ないとかだから、そうだよねって思う人でもさ、こと恋だのカネだのピシネスだの(ピシネスと書いた。ビジネスでなく。勿論、馬鹿にして(^o^))とかだと、納得できない人多いんじゃないの?

でも、おんなじだけどな。拙者に言わせれば。


冒頭に書いたように、拙者だってモンモンモンモンとしたりもするんだからさ。全然、枯れてもなけりゃ、悟ってなんかましてないわけでさ。

けど、“絶対なになに”って感じは遠くなって久しいかな。


なげーつぶやきでした。