うーむ。実はこれ、全く言えなくもないかも。拙者振り返っても。
っつーのは、この“不幸感”云々ってーのは、他人から見てのハナシじゃなくて、自分的な感覚でということ。
拙者なんかも、その頃、社会的にというか他人から見たら別に不幸でもなんでもなかったんだが。
その頃、子供が12歳くらいになったわけね。三人家族で、それまでって、子供だけでなく、“子育て中の妻”ってのを含めて、全神経ってほどじゃないにしても、拙者のエネルギーのかなーりほとんどをそこへ投入してきたわけだけど。それが、“それはもういいから”的に、ひっくり返された頃かな。
“パパの存在感”は、ずーっと薄くて結構的なね。
それから、物理的な空白……つまり、時間がぽっかり空いてしまう。
突然つかまるところがなくなって、わーっと溺れるような感じ。
勿論、亀は飼ってたし、本も読んでたし、いわゆる友だち付き合いも多少あったけどさ。そんなんじゃ、空白が埋まらないわけ。波動追及とかも飛んでしまうんだよな。
それが正に47歳くらいだよ。
そして……49歳のある日……少し空白ってのにも達観してきてたかな……ほとんど乗ってなくて置いてあった、中古のママチャリが突然、目に入ったんだよね。そして、時間は空いてるから、乗ってみたわけ。
それが、その後のチャリ人生の切っ掛けになったんだよね。
50代はその展開から、チャリ人生になったんだな。
そんなわけで、47歳頃の低迷感ってのは、その次の展開をもたらせてくれる重要な節目なんじゃないかな。
これって、金があるとかないとか関係なく、国も関係なく共通らしい。
↓ を見てみてね。
https://tocana.jp/2022/09/post_241623_entry.html