“気づく”ってことの中身なんだけどさ。コロナだろうが、ナチスだろうが、人身売買だろうが、アドレナクロムだろうが、とにかく“えっ!!”というほど酷い有り様ばかりが表に出てくるでしょう。

アライアンスやホワイトハットが素晴らしい働きをしてくれていることに気づくというのもあるけれども、主として気づく中身は、もう酷い人類の有り様だよね。


これってね、要するに、われわれ全部の酷さってことなんだよ。異常の割合が高いのがDSってだけでさ。


とくに女性陣は、感情的にならずにみつめてほしいんだが。

ステキと感じる部屋とか、服とかさ、男性とかあるじゃない。

小綺麗な部屋だったりするよね。

優しい男性とかさ。いい人とか。

そして、なんとなくそういうことをイメージしながら、ステキなことを思い描くのがポジティブだと思ってたりしない?


ところがギッチョンチョンで、気づかされることは、上記のように酷さばっかりでしょう。

何でなのかな?


それはさ、表面小綺麗にしたり、それまで近くに来てくれていたモノを平気で断捨離したり、要するに自分のご都合でやらかしてることをポジティブとか思ってない?

そのポジティブって、エゴに拍車かけてるだけなんじゃないの?

小綺麗ってのは、臭いものに蓋してるだけなんじゃないの?


だから結局、デクラスってのは、それまで信じていたりとか、ファンだったりとか、良いと思うだけでなく心から感じていたりしてたことが、根こそぎ覆っていくんじゃないの?


デクラスって、そういうことなんじゃないの?

それ、これまで考えていたようなポジティブかな?


どうして、気づくといえば、酷いことばかりなのか。


そして、いまだに多くの人がそれすら気づかず、ゾンビでいたり、殺人者がワクチンをいまだに打とうとしていることが続いているのか。

しかも、ゾンビでいることが良い社会人だとホンキで思っているのか。


そう。気づくと知ってしまうのは、酷さばかりだから、それが嫌なんだ。

また、DSの酷さ“だけ”を対象にして、自分の酷さは棚にあげている自称覚醒者が多いほど、酷さばかりが際立ってくる流れは変わらないといえる。


勿論、拙者も他人事ではない。


高次元に向かうというのは、薄っぺらな表だけ小綺麗なポジティブなんてエゴが木っ端微塵にされるということであろう。

デクラスによって気が狂ってしまう人が多く出るだろうという当初からの指摘は、正にそういうことではないだろうか?