嫌なタイトルを付したが、最早そう言うしかない・・・。
昔むかしのキャッシュカードのCMで、出かける時は忘れずにというのがあったが、それと同じリズムで、死にたい人はご勝手に、と。殺人ワクチンのことである。
具体的にどういう人かとかは、相手にとって個人的なことになるし、書けないのだが、要するにコトここに到ってなお、喜び勇んで3回目を受けに行くキ●ガイが何人も身の回りに出てくるということ(家族にはいないからいいけどさ)。
コトここに到ってというのは、通常のワクチン被害情報ですらこれだけ出てきているのにということであるし、ちょっと調べれば、殺人ワクチンがどれほど殺人的かという情報だって、今や山のように出回っているのにということ。
それが、昨年の初めとかいうなら、百万歩譲ってまぁ仕方ないとしよう。また、拙者の両親のように90だ89歳だという歳なら、どうにも仕方ないところもある。ところが、拙者なんかよりずっと若くてもそんなのがいるわけである。
こういうことから言えるのは、次の点だ。
・どんなに情報がそこにあっても、耳や目にしたとしても、そういう人には伝わらないし、分かろうともしない
・より高い波動の存在がそこにあっても、まったく伝わらないし、変わらない
・つまり、魂としての「素直さ」「謙虚さ」が欠如してしまっている
打たない人と打った人の違いは、そうした意味から明確な差があって、その「結果として」打った打たないが出ているということなんだな。それを思い知る毎日である。
打った人は、結構、いい人が多い気がする。が、少なくとも拙者が知っている打った人は、実のところ、目先の損得に非常に関心が高い人ばかりだな。でも、大きく悪なんかはできない。小さく小さくこ狡く、そして少しでも得の方はどれかと生きている感じ。要するに、本質には目が向かない人たち。
いい人だから、疑ったりしない・・のではないんだよ。魂としての「素直さ」「謙虚さ」が欠如してしまっているから、魂が「あ。それ違うよ」って言ってる声が感じられないの。魂よりも、他人の目とかの方ばかり気になるの。少しでも得になるようにね。
よく、“分断”は闇側の狙いで、今一致団結するときである・・・的なメッセージが、宇宙なんちゃらなどから出されたりするのだが、そうかー? って疑問になる。
打った打たないは、原因でなく、結果なんだよな。わざわざ分断しているのではなく、分断されてる結果なんじゃないの?
つまり、現在の状況というのはやはり、同じ次元にいないハズの存在がごった煮になっている妙な状態なんだよ。
もし高い波動を持たれた方の言葉に、「ハッとした」という経験がある人は、実は既にその人がその高い波動に同調していて、その結果「ハッとする」のだな。その主体の状態が先にあるわけだ。
何にも感じないのは、つまり同調しないからだ。
それで、ウィルスを連中が撒いたにせよ何にせよ、この時空間の中でウソデミックが起きてこのかた、ワクチンってものがもらたしたことはといえば、「潜在」していた分断を「顕在化」させたんだといえるな。
極めて短くいってしまえば、波動的な違いを顕在化させたんだよ。
今後、この殺人ワクチンの“効果”は、より激化していくし、“打った人の中での分断”を幾らでも生み出していくだろう。
そして、打たなかったわれわれは、ずっと遠くから見ているよりほかはない。
そうこうしているうちに、時空間が分かれることになるだろう。
自分の波長とちょうど合っている時空間へ。
以前書いたが、拙者はそれが13に分かれてそれぞれのところに行くんだろうなぁって感じがしている。そうした前哨を、現在日常の分断で見ているような気がしている。