これ、とくに女性の方に聞いてみたいんだよね。




上のは、バレット個人の特異な事象なんだけど、ここで取り上げたいのはね、“あんな風に仕事ができる”っていうようなのって、どう? ってことなの。これ、アナクロの見方で言ってるんじゃないんだよね。

ペロシにしたって、ハリスにしたってそうだけど、いわゆるイメージとしてもともと、“仕事ができる女”風でしょう。それって、つまりはリベラル左派なアタマの中のわけよね。
この“仕事ができる女”の感じって、日本でもそうなんじゃないの?

男女雇用機会均等ってのはさ、むしろ、これまで矢鱈と評価されてた“仕事ができる”っていう、その構造が問題なんじゃないの? つまり、その価値観そのものが男性社会がもたらした評価軸なんじゃないの?

仕事とかについての価値観そのものが同じであったら、その土俵で男女平等っていうんじゃさ、リベラル左派の女みたいのばかりがいいってことになんじゃないの?

例のワシントンメッセージにもあったけど、女性性が復活したというよね。
でもさ、これは地球アライアンスのメンバーだろうが、トランプさんであろうが、女性性が復活した社会を実際には経験していないわけよ。
少なくとも、西洋文明的なところは誰も体験したことがないわけ。共産圏もそうだよね。アラブもね。
みーんな男系社会しか知らない。
だからこそ、ホントの意味で男性性と女性性の平等というのは、これから全員が体験して学んでいかなくちゃいけないんだよね。

そうすっと、現在のこの社会的価値観のもとで、やたらと男女雇用機会均等とかって声高に叫んでいるのって、どう? リベラル左派みたいに。
ま、あやつらは、男性と女性っていう性別を表すこと自体が、“差別”だとまくしたてているからな(^-^)