いつの時代にもおかしい人はいる………そのようにわかった風な嘯きをする者もいる。
事件を報道するから、感染したように真似る事件が増えるというものもいる。
だが、そうした要因を加えてなお、昨今の異常者的な事件の増加はただ事ではないと感じまいか?
何かしら“底が抜けた”ような吹き出し方をしていまいか?

毎朝、満員電車に乗るのだが、かなりの数の老若男女が、込み込みの中で最初から最後までスマホをいじり回している。
この記事を見る者にも必ずいるであろう。だって、あんだけの率でいるんだから。
ゲームやってんのか、ラインやってんのか知らないが、立っているのがやっとという状況でも、まだやろうというのである。
いいじゃない、好きにさせてというか?
あえて言うが、バカじゃなかろうか。それが、イジョーだということに気がつかない。

異常者的な事件が増えるというのは、このスマホいじり過ぎ異常者の激増と、同一の根っこを持っている。症状が進むと、弱い子供へのDV殺人となり、もっと根深く進むと新幹線や交番に凶器をもって殺しまくったりするのである。
当人の気質によって、症状の出方も変わるであろうが。

ここが、同根なのだとかっぱできない場合、すでにかなり“おかされている”状態だと思いたまえ。

一言で言えば、感性が非常に狭く押し込められた状態にあるということだ。症状が進むというのは、どんどんどんどん狭くなっていくということ。そして、出口がなくなるのである。

流行っている何々。
いま、受けている何々。
評判の何々。
これらの価値に同調すればするほど、感性が狭くなる危険を伴う。

一人ひとりの生き方が全体へ影響するというのは、実にそういうレベルで認識されるべきことなのだ。