“結界”が分からず“手放し”は自殺行為だぜ^^;
運命やお陰様というものに、真っ正面から向き合ってきてる森田健は、なかなか大したものなんだけど、流れに逆らわず“手放しで生きる”、コントロールしようとするなって極意を説いてきた。
そのこと自体は、誠にそのとおりなんだ。
ところかだ……、自殺行為になってしまう人が結構いると思うんだ。それはね……。
細胞の中にミトコンドリアってあるでしょ。葉緑素つくる。あれって、もともとは別の原生生物が取り込まれて出来たんだよね。細胞核もそうだといわれるね。
もしだよ、ミトコンドリアの外側の膜がうっすーいペラッペラだったらさ、全部吸収されて、はいそれまでよだったわけよね。
“結界”の意味ってのは、いわばそういうことなんだよ。
ある機能なり、価値なりを、流れの中で成立させるための、区切り、境界線なんだよね。
それで、上述の“手放しで生きる”、“生を信頼して、コントロールしようとしない”ってのはね、この“結界”を自我だの自意識だの世間的評判だのを守るためにあると、勘違いしないってことが大事でね。そういうコントロールをしないってことでね。
じゃ、何に対しての“結界”かというと、それがここ一連で書いてる“闇”に対しての結界なんだよ。
それがあってはじめて、あの膨大な闇と付き合えるんだし、お約束の余裕や笑いや愛嬌が生まれ得るわけだしね。
そして、そのことを知らずに、闇を排除しようとするクセのまんま手放ししたら……奈落に落っこちるしかないよな。または、闇に“吸収”されてしまうか。
光だけを語って、いや騙ってみせるスピリチュアル系の中で手放しが出てきたら、スタコラと逃げ出した方が身のためだぜ。
結構、犠牲者がいるよ。しかも悪いことに、自分が至らないためにそうなったんだと、さらに貢ぎ額が増えていったりすんだからな^^;